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アーカイブ フェロー・早田 秀人 エッセイ「思索の散歩道」 2024/05/20
古代ギリシャの医者として名高いヒポクラテスは、医術について「芸術は長く、人生は短し」という言葉を残していますが、医術を修行・会得するために、“人生は短すぎる”と悟り「人の命は短く儚いものであるが優れた“芸術作品”は永遠の生命を保っている」という名言を残しました。さらに、医術と食についても言及し「食べ物で治せない病気は医者でも治せない」、「汝の食事を薬とし、汝の薬は食事とせよ」、「病気は食事療法と運動によって治療できる」など「食と病気」に関する奥義も伝授しています。
広辞苑第7版は芸術とは「一定材料・技巧・様式による『美』の創作・表現」と定義し造形芸術には彫刻・絵画・建築があり、表現芸術には舞踊や演劇が、音響芸術には音楽が、さらに言語芸術として詩や小説、遊興などがある」と定義しています。芸術を「時間芸術」と「空間芸術」に区分する考え方もあります。
ところで、“万病の特効薬”農作物の生産を手掛ける農家が丹精込めて作り上げる生産物の中には、“芸術”の名に値する“作品”が数多くあります。「食」に対する私たちの嗜好は、“人それぞれ”で、ひとつに集約することはできません。農業が育む「生産物」には、あらゆる産業の“基礎”となり“こやし”となるものが数多くあります。農業に携わる人々の“営みの原点”は、一口で言えば「自然との対話」だと思います。
フランスでは、「テロワール」に基づく農業が根付いています。テロワールとは産地特有の気候や土壌を意味する言葉です。農業は土壌と気象や水、そして土地に棲息する細菌や生き物など総ての生態系に育まれ、支えられて“先祖伝来”の耕作法を用い作物の特性に応じて伝承されてきた“芸術産業”です。
ところで、無機物の岩石は風雪に晒されて風化し河川や地下水によって流域の平野まで運ばれます。その過程で、さまざまな微生物を取り込み堆積します。「蛍光顕微鏡」でみると、1グラムの土の中に100億から500億個もの微生物がいる(「土壌微生物の世界」染谷孝著、築地書館)とされています。
これに対して、農業はその土地特有の天気と土壌、水などすべてを利用することにより成り立っています。農業に携わっている人々は、消費者人が求める“良い作物”を生産するための労働、言い換えれば“芸術活動”を行っていると言っても過言ではありません。
形が美しく見栄えのする果物、口にして美味しい米を私たち消費者に届け、感動を与えるという営みそのものが、「芸術作品を製作するという精神」に通ずると思います。優れた作品を生産するため、時には自然状態の土壌に、肥料や農薬など“科学の成果”の手助けを必要とすることもあるでしょう。
アフリカの、とある国で水田作りに関わった担当者が「美味しいコメ作りに欠かせない灌漑や排水を適切に管理できるよう水田をミリ単位の正確さで造成する」ことを要求されたという話を聞いたことがあります。“優れた芸術作品”を創作するためには、自然の土壌に敢えて肥料や農薬など“文明の果実”を利用しなければならないことがあるかもしれません。
建設会社を定年前に退職し、農業に携わることを決意した今では故人となった飯塚さんは、東京農業大学で農作業の基礎を学んだ後、山梨県にある農場を賃借、トマト、ナス、キュウリなど野菜の栽培に精出していましたが「品質の良い作物を育てるには、精度の高い畝づくりが欠かせない。農薬は使いたくないが『虫食いのない見栄えのする野菜』を作るには、どうしても使わざるを得ない」と本音を吐露したことが印象的でした。
昨今、自然生態系を巧みに利用して耕作することや整地作業を省き、作物の残渣(ざんさ)を田畑の表面に残したまま新たな作物を栽培しようという“不耕起栽培”が盛んに行われるようになっています。
虫好きとして土の生態系に関心を寄せる、解剖学者の養老孟司さんは「不耕起栽培に注目する流れは自然との共生への目覚め」と指摘しています。
かつて、話題を集めた青森のリンゴ農家・木村秋則さんがたどり着いた「無農薬栽培による“奇跡のリンゴ”は、自然に逆らわないリンゴを作ろうと丹精を込めた成果」と称賛されましたが、収穫量が少ない無農薬栽培は経営面から考えると問題が多く、リンゴ栽培の農家の間で広まることなく“徒花”に終わってしまいました。
農業従事者に求められることは、消費者の好みに“迎合”するだけなく、国の農業政策や農協などが勧める“地域農業”の振興策、食品産業の経営動向などを視野に入れ、目配りを怠らないことだと思います。
昨今、世界では「自然と文明」を適度に融合させた農産物の温室栽培や水産物の養殖はじめ林業における人工林など第一次産業の在り方が注目されており、農林水産業に携わる人々には変化に素早く対応するスピードが求められています。先進技術を躊躇することなく取り入れる勇気があれば大量生産も可能です。農業は、自然と上手に対話しながら長い年月をかけて培われた“知恵の結晶”により、その土地特有の“本物の農産物”を育て紡いできた「芸術の創作活動」と言わざるを得ません。
東レ・基礎研究所の主任研究員だった森有一さんが、退職後に開発したメビオール農法は「水と栄養分は透過させるが細菌やウィルスは遮断するというナノサイズの極めて小さい孔の空いた高分子フィルムを使って高糖度のトマトなどを栽培出来る」従来では考えられなかった画期的な農法で「フィルムに種を撒くと植物は毛細根を張りめぐらし、逞しく育つ結果、高品質の作物が栽培可能となる」ユニークな技術です。メビオール農法を発想してから、その技術を完成させるまで、森さんは何度となく“難所越え”に挑戦し、試行錯誤を繰り返した結果、成功という“果実”を手にすることができたのだと思います。
三重県津市に住む村林光明さんは、大手建設会社の長い海外勤務を終え、地元・津市の営業所に配属されたことが“引き金”となって、全国各地の人たちと交流する機会が増えたと言います。ある地域で手の施しようがないほど繁茂している竹林の整備と竹材の処理を任された村林さんは、“竹炭”を野菜栽培に利用しようと考えました。
自宅の庭に圃場を作り、接種間隔、施肥量、水やり、気温管理等何通りもの実験データを収集し続けた結果、最適な組み合わせを発見、糖度の高いフルーツトマトを収穫することに成功しました。その後、地元のトマト栽培農家と提携、フルーツトマトの栽培を本格化させたところ、市内はもとより近隣各地の間で評判となり、フルーツトマトは“陽の目”を見ることになりました。
村林さんがトマトの竹炭利用栽培に関するデータを国際学会で発表したところ、多くの関係者から質問攻めにあうなど好評を得たと胸を張っていました。地元朝市では、従来品に比べると数倍も高価なトマトでしたが“陳列即完売”という人気商品だったと仄聞しています。
明日の農業は自然と最新の技術との共存関係、すなわち適度な「Man-Machine-Interface」
を創り出さなければなりません。“主役”は、農業に携わる人々であることは言うまでもありませんが。国や各自治体の研究機関や農林水産業の協同組合が一次産品の研究成果を集めて分析を行い、結果を次世代に発信すること。「手に入れた成果物」を次の世代にバトンタッチするなど農業のあるべき方向を明示することが不可欠です。
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