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アーカイブ フェロー・早田 秀人 エッセイ「思索の散歩道」 2024/06/24
妻に先立たれ、80歳を過ぎて一人暮らしをしている隣人の話し。
彼は若い時に目指した画家になる夢が叶わず、ペンキ店を営み、今も現役として元気に働いています。彼の楽しみは毎朝4時に起き、鎌倉のある寺が主催している講話会に参加することだそうです。
何度も講話会に参加するうちに、原子力分野で著名な東大出身の専門家と知り合い意気投合。親交を重ねるうち、その友人が病気の後遺症で下半身が不自由になり、講和会への参加もままならなくなったため、何かと身の回りの世話をすることになったそうです。
ある日、件のペンキ屋の隣人は「病気になれば、人の手助けが必要になって“肩書”も“経歴”も関係ないですね。私は、まだまだ元気で現役を続けています。この歳になって東大卒に勝ちました」と、笑いながら晴れやかに語ってくれました。
人生は息の長いレース。学歴や経歴で人を判断することの無意味さを、件の隣人の話しに垣間見た気がしました。人生の価値は、その人の生き方によって左右され、幸せかどうかは本人しか分かりません。傍から見て、「気の毒に」とか、「幸せそう」と判断するのは、勝手な推測でしかありません。この話に類することは多々あります。「一人っ子はさみしいね」とか、障害を持つ人に「不自由で気の毒」とか、同情や憐れみで、自分勝手に他人の気持ちを忖度してしまうことがあります。でも、その人たちはその境遇を当たり前のこととして受け入れているかも知れません。人それぞれの内面は誰にも分かりません。
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