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アーカイブ フェロー・早田 秀人 エッセイ「思索の散歩道」 2024/07/01
雲海は、昼と夜の温度差が激しい季節に現れる。ベストシーズンは秋とされているが、初夏でも見事な雲海が見られるという。奈良県野迫川村は、離島を除いて人口が最も少ない村だが、海外の観光客も訪れるという知る人ぞ知る雲海スポットだ。
取材日前日の午前、天気予報は大外れの晴天。「この調子だと明日の雲海は厳しいかもしれない」と思っていたが、午後からにわかに雲が出始めた。大した量ではなかったが雨が降った。
「これならきっと雲海が見られますよ」と地元の方から太鼓判をもらい、朝に備えて早めに就寝。日の出に合わせて雲海を見る予定なのだが、野迫川にある「雲海景勝地」と宿泊する「ホテルのせ川」は車で30分程離れた場所にある。太陽が完全に顔を出すのは5時ごろなので、“やうやう白くなりゆく山際”を見るなら4時過ぎには現場に到着していたい。
眠い目をこすりつつ、曲がりくねった山道の暗闇をヘッドライトが切り裂いていく途中、何度か鹿やカモシカを目撃する。まだ山は彼らの時間だ。ほかに車はまったく見られないが、下手にスピードを出すと危ない。
車から出る。標高1000メートル程度だと5月とはいえ少し肌寒い。意外なことに、静寂とは程遠い音の洪水である。鳥や獣や虫たちは、今だけは自分たちの時間だと高らかに歌っているようだ。
東の空では太陽が昇ってくる準備をしている。そんななか、眼下の谷間で雲海をはっきりと見て取ることができた。
雲海景勝地からだとご来光は見られない。しかし、徐々にその存在感を増してきている。まさに“少し明かりて、紫だちたる雲の細くたなびきたる”といった景色。なるほど、ここに桜吹雪が合わされば、さぞ幻想的な空間になることだろう。
野迫川の雲海景勝地には小さな東屋がある。空は晴れているが、朝露でたっぷり濡れた東屋の屋根からはシトシトと水玉が落ちてきて、雨宿りをしているようだ。
“雲海”とはよく言ったものだ。雲海から頭をのぞかせる小高い山は瀬戸内海の島々を思わせる。この海は波立つことこそないが、太陽によって表情が変えられている。
明るくなると今が新緑の季節であることを思い出す。朝の空気が気持ちいい。風に流されて雲海が少し薄くなり始めたが、繊細なタッチで描かれる絵画のようで、これまでとは違う趣がある。
取材日は雲が少し多く、せっかく昇った太陽が隠れる瞬間もあった。しかし、そのほうがかえって雲海の白が映える。雲海景勝地から見る風景は千変万化する天然の絵画。それを眺める私たちは作品に描かれる風景の一部になっている。
風に流された雲海が引き潮のように遠ざかっていく。木々は太陽の光を浴びて輝きを増し山はゆっくり目覚めていく。また今日という日が始まるのだ。朝の爽やかな空気と、雲海との別れの物悲しさが同居した不思議な気持ちになりながら景勝地を後にする。
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