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アーカイブ フェロー・早田 秀人 エッセイ「思索の散歩道」 2024/08/26
電車に駆け込むと、大人も学生も、座っている人、立っている人など、多くの人がスマホと“にらめっこ”している。〝スマホ依存症〟ともいえる風潮は留まるところを知りません。
昨今、〝歩きスマホ“が世界的にも大きな問題となっています。歩いている人にぶつかったり、車に接触したり、赤信号を無視したりで事故につながる危険な状況が後を絶ちません。
「歩きスマホ」を抑制するため各国は知恵を絞って対策を講じています。対応にはそれぞれの国で違いがあり、例えばハワイ・ホノルル市では禁止、違反した場合は罰金。中国の重慶では、スマホ歩行者専用レーンを設置。ドイツ、韓国では歩きスマホ用道路に信号を設置するといった対策が講じられていますが、ホノルル市を除いては法的に罰則を設けるなどの規制はなく、個人の判断に委ねるに等しい状況です。
ニッポンの歩きスマホ事情も各国の状況と変わりなく「歩きスマホはやめましょう」といった“お題目”ばかりが独り歩きし、トドの詰まりは自分の安全は「自己責任に帰す」ということになっています。
ところで「自己責任」とは簡単なようで奥が深い概念です。広辞苑によれば、{責任とは、責めを負ってなさなければならない任務。引き受けてしなければならない義務」、「事を担任し、その結果負うべき責め。特に、悪い結果をまねいたとき、その損失などの責めを負うこと。また、その償いをすべきだという気持」とあります。
責任を意味する英語Responsibilityは、日本語の解釈にはない「自分が自由意志で選択した結果、外部の条件に反応できる能力」という意味で、さらに、自分の選択に対して「法的(Legally)、や道徳的に(Morally)に自分自身が拘束を受ける、晒される」という概念が入っています。
「歩きスマホ」に当てはめてResponsibilityを考えると「歩きながらスマホに触れることは自身の責任において可。しかし、その行為が及ぼす自分以外への影響を予測し、回避できる術を講じてこそ成り立つ」と解釈できます。
実際に、他人にぶつかり怪我を負わせ、結果損害賠償など訴訟の対象になったり、自身が障害物に気づかずに転倒し大けがを負うケースが少なくありません。昨今、仕事や教育、趣味に至るまで自己責任論が広がっています。
「自己責任論」だけで問題の解決になるほど、社会は単純ではありませんが、私たちの行動が「法的、道徳的に拘束受ける」ことを自覚し、良識ある市民として生活することが私たちに課せられた義務だと断言できます。
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