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アーカイブ 主席研究員・櫻井 元 エッセイ 2024/12/24
「楽器を持って来なさいよ」 ピアニストの高瀬アキさんからお誘いを受けた。1999年12月24日のベルリン。帰国まで2週間を切っていた。昼過ぎには運送会社の方が、単身者にしては多すぎる荷物を下見していた。
高瀬さんは、中心街モアビットの一角にあるマンションに、手料理をたくさん用意してくださった。和食のクリスマスパーティーが始まった。
プロの音楽家の世界では、「酒気帯び演奏」は禁じ手だ。でも、高瀬さんは「1曲やりますか?」。同郷・大阪人の甘えも手伝って、アルトサックスを取り出してしまった。
高瀬さんとデヴィッド・マレイ(バスクラリネット)が1991年4月、ミュンヘンで録音したアルバムを聴き直し、耳だけ予習していた。「ブルー・モンクをお願いします」
セロニアス・モンクのブルースを吹きながら、すごい人と音で会話するのは、ものすごく楽しい、と感じた。どこか遠く知らないところへ連れて行かれるような、時にピアノを習い始めた懐かしい時代に引き戻されるような――揺れ動く感覚がわき上がってきた。
1曲終わると、高瀬さんのパートナー、アレックス1さんが拍手しながら立ち上がり、「僕も……あっ、いけね。僕もピアニストだった」と納戸へ入り、フリューゲルホーンを持ち出した。続きは何を演奏したのか、まったく覚えていない。いくらクリスマスイヴとはいえ、夜のセッションは許せないほど大きく響いたのだろう。かっきり9時に、電話が鳴る。「すみません」と謝った高瀬さんが、手ぶりで演奏を打ち切る。「これ以上吹くと、警察が来ます」
和食のクリスマス会を一緒に楽しんだ舞踏家・古川あんずさんは、その後、舌がんを患い、2001年10月、ベルリンから駆け足で旅立った。
凍てつくベルリンの夜に―― 手づくり和食の美味しさ 音楽の愉しさ ドイツの「音出しルール」の厳しさ そして、才能ある人を早く失う悲しさ――
ベルリンで1回限りのイヴを振り返るたび、「ブルー・モンク」の残響に、複雑な和音が混じる。
----------------------- 1 アレキサンダー・フォン・シュリッペンバッハ(Alexander von Schlippenbach:1938.4.7-)ジャズ・ピアニスト、作曲家、欧州フリージャズのリーダーの1人。高瀬アキさんとともに「ベルリン・コンテンポラリー・ジャズオーケストラ」を率いた。ベルリン文化賞(1976年)、アルバート・マンゲンスドルフ賞(94年)、南西ドイツ放送(SWR)ジャズ賞(2007年)、ベルリンジャズ賞・ドイツジャズ賞(24年)を受けた。 一方、高瀬アキさんはこの年(1999年)、ベルリン新聞文化批評家賞を受けるなど、独日両国で活躍。「ベルリンはアーティストを大事にする。作曲すると1曲ごとに補助金が出るのよ」と話していた。秋田市では2014年11月16日、林栄一さん(as)、井野信義さん(b)、田中徳崇さん(ds)と組んで「一時帰国スペシャルライブ」に登場。16年11月18日には、国際ソロプチミスト秋田、秋田朝日放送(AAB)が共催、秋田日独協会などが後援してヴォーカル伊藤君子さんとのデュオ・コンサート「まっかなおひるね」を開催した。新宿ピットインなどでアレックスさん、息子のDJ Illvibe (Vincent)さんと家族共演したこともある。
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