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    アーカイブ フェロー・早田 秀人 エッセイ「思索の散歩道」 2024/05/13
    エッセイ「思索の散歩道」
    安楽死の是非を問う
     森鴎外の「高瀬舟」は江戸時代の京都を舞台に、安楽死の是非を問う作品だと思います。
     流罪になった罪人は「高瀬舟」に乗せられ川を下ります。ある日、船頭の庄兵衛は「弟殺し」で遠島の刑に処された喜助を乗せます。これまでの罪人とは違って、安らぎすら感じさせる雰囲気を漂わせる喜助に関心を寄せ、殺しに至った顛末を問わずにはいられなくなります。
     喜助は幼くして両親を亡くし、病床の弟を養いながら懸命に働いていました。病に伏せていた弟は負担をかけている兄に対して、申し訳なさから「自分はいないほうが兄のため」と罪悪感を募らせます。弟は思いつめた挙げ句、小刀を喉に突き刺し自殺を図りますが、すぐには死ぬことが出来ません。あまりの苦しさに「小刀を引き抜いてくれ」と、兄に懇願します。喜助は狼狽えながらも、苦しむ弟の姿を目のあたりにして、深く突き刺さった小刀を引き抜きます。その話を聞いた庄兵衛は弟の願いを聞き、苦しみを取り除いた行為が果たして「人殺しになるのだろうか」、「奉行所が下した〝裁き〟なのだから、喜助は罪人なんだ」と、自分に言い聞かせますが、裁きに対する懐疑は最後まで庄兵衛の中に残り続けます。
     ところで、超高齢化社会の真っ只中にある日本では、高齢者の介護問題が大きな社会問題としてクローズアップされています。介護の果てに思い余って肉親を手に掛ける、無理心中をするなど、悲しい事件が後を絶ちません。また、高齢者の介護にとどまらず、現代の医療で治る見込みのない難病を抱えた肉親の介護など、その大きな負担から手を掛けてしまう悲惨な事件も起きています。
     2021年には、筋力が徐々に低下する筋ジストロフィーという難病を患った娘を、母親が思い余って手に掛ける事件が起きました。裁判官は執行猶予付きの有罪を言い渡しましたが、公判では、家族4人が筋ジストロフィー患者となっていたという壮絶な介護経験が明らかにされました。筋ジストロフィーを患う夫と長女、次女、三女の4人を1人で介護、食事や風呂の介助、病院への付き添いなど、経済的にも苦しい中で少しずつ症状の重くなる家族を一人で支えていましたが、夫と長女、三女が相次いで亡くなり、残された次女も寝たきりの状態が続き母親は心身ともにボロボロに。結果、母親が娘を手に掛けるという結末を迎えます。森鴎外の「高瀬舟」は今の世相を見透かしたかのような重い問題を投げかけています。
     世界に目を転じてみましょう。1971年オランダでは、女医のポストマさんは脳溢血で倒れた後に身体麻痺や言語障害、難聴などで苦しんだ挙げ句、自殺未遂を繰り返していた母親の「死んで楽になりたい」という願いを聞き入れ、致死量のモルヒネを注射し死亡させた後、警察に出頭、殺人の容疑で起訴されるという事件が発生しています。しかし、多くの市民がポストマ女医に同情し彼女の行動を支持したことが契機となって安楽死容認運動が活発化します。事件から30年後の2001年、オランダ議会上院は62%の賛成多数を得て「要請に基づく生命の終焉、ならびに自殺ほう助法」を制定しています。
     1973年、レーウワーデン裁判所はポストマさんに対し「1週間の懲役並びに1年間の執行猶予」という判決を下すとともに「レーウワーデン安楽死容認4要件」を決定しています。
     容認された4要件とは「患者は、不治の病に罹っている」「耐えられない苦痛に苦しんでいる」「自分の生命を終焉させてほしいと要請している」「患者を担当していた医師あるいはその医師と相談した他の医師が患者の生命を終焉させる」ということです。
     日本では、安楽死に対する問題提起や法整備が口の端に上っていません。本人が苦痛から逃れる意思を明示し強く死を望んでも、仮に家族に本人の意思を尊重しようという気持ちがあったとしても、「安楽死は受けいれ難い」というのが家族の本音ではないでしょうか。
     人生の終焉を迎えるに当たって日本では、苦痛をやわらげQOL (Quality of Life)を維持しながら寿命を全うするという「終末期医療」が取り入れられています。この治療法により患者は耐え難い苦痛の状態から救われ、平穏に人生の終焉を迎えられるようになりましたが、自らの意志で「生きたいように生きたい」「死にたいように死にたい」という自由が容認されているとは言えません。オランダのケースは、安楽死を本人の選択による権利として捉え、家族や周りがどう思うかは関係なく本人の意思を尊重します。世界一の長寿社会を実現している日本の現状を踏まえ、私たちは「生きること」「死ぬこと」に真摯に向き合い、安楽死について議論を深めるべき時がきたと思います。
     表題の『己を知り、己に克て』は紀元前470年から同399年に古代アテナイで哲学の道を説いたソクラテスが自身の「座右の銘」としていたとも、アテナイ市民に向けた名言とも言われていますが、自分は〝唯一無二〟として誇りに思うことの大切さ説いた教訓と考えることができます。



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