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アーカイブ フェロー・早田 秀人 エッセイ「思索の散歩道」 2024/06/10
年号「令和」の出典となったことで、一躍脚光を浴びたわが国最古の歌集と言われている萬葉集は、7世紀後半から759年(天平宝字3年)までおよそ130年間に亘って詠われた和歌を全二十巻に編纂、雑歌、相聞歌、挽歌など4516首を収録しています。詠み手は、天皇から官人、防人、農民など幅広い階層におよび読み込まれた土地は東北から九州に至るまで当時のほぼ日本全土に広がっています。
雑歌は行事や遊宴、旅など折々の出来事をテーマとし、相聞歌は親子や兄弟・姉妹や友人・知人など親しい間柄での送りと返しの歌で、その多くは男女の恋を取り上げています。挽歌は人の死にふれた歌です。
御製歌は、雑歌「泊瀬の朝倉の宮に天の下知らしめす天皇の代」に続き、雄略天皇の「籠もよ み籠持ち ふくしもよ みぶくし持ち この岡に 菜摘ます子 家告らせ 名告らさね そらみつ 大和の国は おしなべて 我れこそば 告らめ 家をも 名をも」。
(現代訳「ほんにまあ、籠も立派な籠、掘串〈ふくし〉も立派な掘串を持って、この岡で菜をお摘みの娘さんよ。家をおっしゃい。名をおっしゃいな。この大和の国はすっかり私が支配しているのだが、隅から隅まで私が治めているのだが、この私の方から打ち明けよう。家をも名をも」(新潮社創立80年記念出版・新潮日本古典集成『萬葉集』より抜粋)が収録されています。
巻20に収載された最後の歌は「新しき年の始めの初春の今日降る雪のいや重吉事」
(現代訳「初春の今日、降るこの雪のように、佳いことがいっぱい積もって欲しいものだ」)この歌は大伴家持が詠んだものといわれています。
「萬葉集」で詠われている歌は、昨今の日本人からは覗い知ることができないほど典雅な言葉にあふれています。雑歌、相聞歌、挽歌の中で人口に膾炙された代表句3首を紹介しましょう。
先ず「雑歌」です。高市黒人が近江の旧都みて詠んだとされる「古の人に我あれや 楽浪の古き都を見れば悲しき」。続けて柿本人麻呂が高市皇子に捧げて詠んだ「挽歌」を紹介します。「久かたの 天知らしむる 君故に 日月も知らに 恋ひわたるかも」。
最後は「相聞歌」になります。額田王の秀歌を紹介します。「君待つと 我が恋ひ居れば我が宿の 簾動かし秋の風吹く」。
萬葉集編纂からおよそ1400年後の2023年、青森県盛岡市で「第18回全国高校生短歌大会(短歌甲子園2023)が開催され、17回大会で優勝、準優勝に輝いた2校と全国27校40チームの中から予選を通過した19校の、合わせて21校の〝選手〟が各自の詠み歌を披露、大いに盛り上がりました。大会の輪がさらに広がり、たくさんの若者たちが感性を磨き、競い合って〝美しきやまと言葉〟と流麗な表現法を“万葉のこころ”として次代に詠い続けでゆくことが大切だと思います。
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