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    アーカイブ フェロー・早田 秀人 エッセイ「思索の散歩道」 2024/07/12
    エッセイ「思索の散歩道」
    目標を明確に責任ある行動こそ平和の原動力
     2023年5月の「G7広島サミット」は「法の支配に基づく自由で開かれた国際秩序を強化する」と明記し「現実的なアプローチを通じて『核兵器のない世界』に向けて取り組む」との首脳宣言を採択し閉会しました。
     ホスト国・日本の岸田首相は会議に先立ち「平和祈念資料館」を背に、メローニ・イタリア首相、ジャスティン・トルドーカナダ首相、エマニュエル・マクロンフランス大統領、ジョセフ・バイデン米国大統領、ルシ・スナク英国首相、オラフ・ショルツドイツ首相、フォン・デ・アライエン欧州委員会委員長を満面の笑みで出迎え、40分ほどの時間をかけ資料館内を案内しました。資料館を後にした各国首脳の表情の中に、戸惑いと沈黙、苦悩と苛立ちそして困惑が見て取れました。
     ところで「平和祈念公園」の一隅に〝遠慮深くひっそり“と、しかし毅然としで立つ3基の記念碑を認めることができます。ひとつは、米国の文芸誌「サタデー・レビュー」編集長ノーマン・カズンズの顕彰碑で「世界平和は努力しなければ達成できるものではない。目標を明確に定め責任ある行動をとることこそ人類に課せられた責務である」と刻印、彼の生涯をかけて貫き通した信念が刻まれています。
     1949年、広島を訪れたカズンズは、ルポ「4年後のヒロシマ」を発表、併せて原爆や戦争で肉親を失った子供たちを育成する「精神養子」(善意のアメリカ人が子供と“法的ではない養子縁組”を結んで養育費を送金、彼らの成長を支える制度)を提唱、「精神養子」となった400人を超える子供たちに対し物心両面から温かい支援を行っています。
     また、1955年(昭和30年)には被爆した女性たちのケロイド治療の支援に尽力、25人の女性が米国形成外科の権威アーサー・バースキー教授らの治療を受けています。余談になりますが、1956年(昭和31年)来日したバースキー教授は東京大学で「広島原爆乙女の治療を中心とした“Plastic surgery”と題する講演」を東大で行っていますが、同教授の講演が契機となり1960年(昭和35年)にわが国初の形成外科診療科が東京大学に設置されたと言われています。
     さらに、1964年に「広島・長崎、平和巡礼」を呼びかけ75日という時間を費やし米国、カナダ、英国、フランス、ベルギー、および東西ドイツ、ソ連(いずれも当時)など8カ国で平和行脚を実現、また1962年には広島の女性被爆者とワゴン車に乗ってアメリカ大陸を横断し訪問先の各都市で被爆証言の集会を開催しました。
     2つ目の顕彰碑には「I too, am a Hibakusha」(私もまた被爆者です)とあり、続けて「私の心は、いつもヒバクシャヒロシマとともにあります」と英文で記されています。この顕彰碑の人物こそWFC(ワールド・フレンドシップ・センター=広島市東観音町)の創立者バーバラ・レイノルズ女史その人です。
     アメリカの平和運動家でもあったバーバラ女史は、1951年(昭和26年)に原爆傷害調査委員会の研究員だった人類学者の夫アール・レイノルズとともに広島を訪れ、原爆被害の凄惨な実態を知りました。その後1958年には、太平洋エニウェトフ環礁の立ち入り禁止海域にヨットで乗り入れ、アメリカの水爆実験に強く抗議しています。
     2011年6月12日、レイノルズ女史の愛と勇気あふれる活動を称える記念碑の除幕式が行われました。女史の愛娘ジェシカ・レイノルズ・レンショウは、原子力の脅威について一文を寄せています。
     要旨はワールド・フレンドシップ・センターの雑誌「友愛」第144号に掲載されています。「1945年以降、広島と長崎に始まり沢山の人々がチェルノブイリやスリーマイル島、そしてまた福島で放射能という毒物に晒されています。放射能は、戦争と平和など状況を選びません。核兵器の放つ放射能は戦争が終わった後でも人々を殺戮し続けます。DNAを組み換え、後の世代まで傷つけます。原子炉に事故があろうと無かろうと近隣の住民の発がん率を高めます。こうして放射能に晒された方々も原子力利用の被害者となるのです。『ノーモア広島』『ノーモア長崎』そして『ノーモア福島』」。
     3つ目の顕彰碑は、1925年(昭和20年)8月9日に赤十字国際委員会の駐日主席代表として来日したスイス人医師マルセル・ジュノー博士の功績を称えるものです。ジュノー博士の〝無償の愛“を紹介するアニメ映画の製作も行われています。
     ジュノー博士は、原爆被災の惨状を聞くやいなや占領軍総司令部に駆けつけ広島救済を強く訴えました。9月8日には15トンもの医薬品を携え、広島に入りました。惨禍の実状を踏査、凄惨な状況を目の当たりにした博士は、国際赤十字が掲げるヒューマニズム精神に則り率先して被爆者治療にあたりました。博士の尽力で齎された薬品は市内の各救護所に配布され、数えきれないほどの被災者を救ったと言われています。
     因みに、博士が届けた医薬・医療品には、血液から血球を除いて血漿を凍結した乾燥血漿やペニシリンなどの抗生物質、それに細菌感染症に対する化学療法剤とDDTおよび、包帯など治療にあったて即必要とされるものばかりでした。
     3賢人の勇気と愛に満ちた行動を“知れば知るほど”、そして“考えれば考えるほど”今、私たち人類が取るべき喫緊の課題は、ノーマン・カズンズの信念「目標を明確に定め責任ある行動をとること、これこそが人類に課せられた責務」を即実行することだと断言できます。



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