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アーカイブ フェロー・早田 秀人 エッセイ「思索の散歩道」 2024/09/23
ビジネスパーソンにとって、通勤車内は読書の場であり情報収集や思索の場であり続けました。音響機器の小型化とともにウォークマンなど手軽に持ち歩きでき、場所を問わずどこでも自分の好きな楽曲を楽しめるようになるとあたり構わずボリュームをあげ自分の好みの曲に聞き入っている若者たちに眉を潜めながら吊り革に身を任せる大人たちを目の当たりにすることも屡々でした。
一方、車内の座席では若い娘たちはもとより中年に差し掛かった女性たちがコンパクト片手に紅をさしたり眉を整えたり化粧に現を抜かしている光景に驚きを禁じえません。このような傍若無人ともいえる振る舞いは、恥ずべきことと断じざるをえません。
化粧する場所は自宅にあっては鏡台の前か洗面所、外出先でで、と相場が決まっています。通勤時間を考えるなら少しでも早く起き、化粧など身だしなみを整える時間を考え余裕のある行動こそ求められるのではないでしょうか。車内の一般席はもとよりシルバー席まで占領し化粧道具を取り出し鏡とにらめっこをしている女性たちをみるにつけ「無理を通せば、道理が引っ込む」という俚言を思い出します。
さらに昨今では、車内の7~8割の乗客がスマホと睨めっこ、ゲームやコミックを楽しんでいるかと思えば、約束の時間に間に合わないのか携帯電話で言い訳するなど目に余る行為が多く見受けられます。また、大きなキャリーバックやスーツケースをわがもの顔に持ち込んで何人分もの床を占拠する日本人旅行客や外国人観光客、そして周囲の迷惑も考えず長くもない足を組む礼儀知らずの若い男女、ペットボトルや缶飲料を当たり前のように口を大きく開いて飲んでいる人たちをみる度に「公共の場」の定義とは、“ハテ”と考えさせられてしまいます。
ここで、“言葉”について示唆に富む事例を紹介しましょう。「礼儀」と「行儀」は似たような言葉ですが、「礼儀が良い」あるいは「行儀正しい」と言うことはありません。
広辞苑(岩波書店)によれば「礼儀」とは「敬意を表す作法」と説明されています。一方、新明解国語辞典(三省堂)によると「(他人と交渉を持つ時に)尽くすべき敬意表現、あるいは超えてはならない言動の壁」と含蓄に富む解釈がされています。
次に行儀について広辞苑は「①(仏)修行・実践に関する規則、仏教の儀式②立ち居ふる舞いの作法」としているのに対し、新明解国語辞典は「礼儀にかなっているかどうかの観点からみた日常的な動作や対人態度」と解説しています。
「礼儀」、「行儀」の相違は扨措き昨今、若者はもとより経験豊かな大人たちの間でも2つの言葉が"死語“になってしまったのでは、と思えてなりません。因みに、米国のジャーナリストにして小説家のアンブローズ・ピアスによれば、礼儀正しさとは「誰か他の人を撃つつもりのピストルの弾が自分を貫通したのに、自分が道に立ちはだかっていることをピストルを撃った当の人間に向かって詫びること」(悪魔の辞典)と定義しています。この位まで皮肉と達観した目で世の中をみることができれば、今の世の風潮を嘆いたり心配したりすることはなにもない、ということになってしまうのですが”さて“・・・。
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