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    アーカイブ フェロー・早田 秀人 エッセイ「思索の散歩道」 2024/10/16
    エッセイ「思索の散歩道」
    戦争に「正義」はない~“善なる人々”は自らに与えられた義務を果たせ!
     アメリカ出身の日本文学・日本文化研究の第一人者として著名なドナルド・キーンさんがその著「日本文学のなかへ」で指摘した「日本への開眼」は大いに共感できます。
     「沖縄の戦闘が終わり、捕虜を連れてホノルルに戻った私は、そこで広島に原子爆弾が投下されたのを知った。長崎のニュースは、グアム島で聞いた。恐るべき新型兵器は「この戦争を早く終結させ彼我何百万の生命を救うためだ」と説明されたが、私は暗然となり、これで米国は戦争に負けたと感じた。それまでの私たちは、祖国アメリカが正義のために戦っていると信じていた」。キーンさんは続けます。
     「戦争が勃発のやむなきに至った事情は、実はもっと複雑なものであったが、戦中の私たちの常識では大東亜共栄圏は軍国主義日本の口実にすぎず、米国こそその野望を挫く正義の国と信じて疑わなかったのである。戦死した日本兵の日記を読むと、彼らもまた正義のために戦っているのがわかったが“東条にだまされている”というのがアメリカ人の一般的な解釈だった」。
     そこへ原爆である。「とくに長崎のときには私はぞっとした。日本の軍部に降伏を決意させ無用の流血をやめさせるために、あるいは新兵器は必要かもしれないが、それにしても一度で十分だ」と思った。
     「米国はもはや正義のためではなく、狭い意味の勝利のために戦っている。正義のためにというそもそもの参戦の意義は、原爆と同時に消え、もう真の意味で勝つことはできなくなった。私は直感的に、そう考えた。玉音放送は、日本人の捕虜とともにグアムで聞いた。彼らは泣いたが、私は永遠に続くとばかり思っていた戦争の終結が、当分は信じられなかった」と“本音”を率直にそして真摯に吐露しています。
     ところで、人間にとって歴史的・宿命的なテーマである戦争に果たして「正義」はあるのだろうか?
     米国の社会運動家にして文学者でもありピュリツァー賞、ノーベル賞をも受賞しているパール・バック女史が第2次世界大戦終戦間もない昭和20年10月2日の毎日新聞に寄せた「日本の人々に」と題する一文こそ、新植民地主義や独裁国家の横暴な振る舞いによって〝崩壊寸前”の世界平和に鳴らす警鐘といえると思います。
     民衆が自由で独立的で自治的である国は、いかなる国でも常に善なる人々と悪なる人々との間に闘争の行われる国である。もしこの闘争が存在しないならば、それは暴君が支配して善き人々が力を失っていることを意味する。
     物事を合理的に考える知的で勤勉な一般の人間というものは。自分に発言権を与えないような政府を長期にわたって耐え忍ぶことはできないものだ。彼らは自分の運命が独裁者の手に落ちていると知ったとき、一切の感覚を以て来るべき危険を感じとり、嗅ぎつける。
     人々が自らの創造力、発明力、表現力を発展させてゆけるのは、ただ自治の下においてのみである。但し邪悪に対する永遠の闘争を続けてゆく善良なる人々にとって自由は常に責任を伴ってくるものだ。日本はもちろんのこと、その他世界のいずれの国の善なる人々にとっても、現在はなお何らの休息、何らの平和は存在し得ない。彼らは自らの眼を覚まして活動せねばならぬ。どこの国民にしても、全体の中にはどこかに善なる者がいるのであるから、国民すべてを一概に咎めることはできない。咎め得るもの、咎めなければならぬものは、いずれの国にあっても、悪に対して善がこれを監視せず、これと闘争しないということである。永遠監視の眼は、言論の自由という問題に対して終始間断なく注がれていなければならない。
     善なる人々は他人の声を黙らせようとは欲せず、すべての人に対して自由を許容せんと欲する。彼らは完全な真理を把握しているのは自分たちだけだというほど慢心してはいない。すべてのものが自由にものをいうことを許されている以上、悪なる人々もまた発言するであろう。しかし、善なる人々の声は悪なる人々の声よりも数多いはずであり、一段と明瞭なはずである。
     このことを善なる人々は自らの責務として認めなければならぬ。何故なら、自由というものは真の自由でなければならず、自由が或る一部の人々によって行使されて、他のものによっては行使され得ぬということは、あり得るべきことではないからである」と論じたうえでさらに、次のように結んでいます。
     「日本やドイツの善なる人々にして万一にも自由を享受し得て、しかも責任を伴わずに生活のできるような国を夢想しているとすれば、彼らはその空中楼閣的な夢から呼び覚まされなければならぬ。日本の善なる人々よ、あなた方は1時間の休息さえとることはできない。何故なら、善なる人々はいたるところあなた方の力、あなた方の周到な要心、あなた方の決断が彼らのそれに加えられることを必要としているからだ」。
     今、世界は第3次大戦勃発の危機に瀕していると言っても過言ではありません。
     私たちは1931年(昭和16年)9月18日、関東軍が“悪魔の意図”で南満州鉄道の線路を爆破し「満州事変」を引き起こした歴史を思い起こし、2022年2月24日、ロシアが開始したウクライナへの全面的軍事侵攻を世界中の“善なる人々”に呼びかけ“悪なる人々”の声を圧倒し、善なる人々として自らの責務を果たさねばならないと思います。



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