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アーカイブ フェロー・早田 秀人 エッセイ「思索の散歩道」 2025/03/31
人はこの世に生を受け、一度しか通れない人生という道を歩き、死によって“旅路”を終えることになります。
2024年11月13日92歳で亡くなった、詩人谷川俊太郎さんは、詩「生きる」の一節に以下の言葉を残しています。
生きているということ いま生きているということ 泣けるということ 笑えるということ 怒れるということ 自由ということ (谷川俊太郎「生きる」)
私たちは、苦しい時、悲しい時、壁に付き当たった時、思わぬ障害に直面した時などさまざまな局面で泣き、笑い、怒りを覚えながら自由に歩み続けることで「生きている」ということを実感します。私たちは、人によっては、生きている意味や自分の存在意義をどのように受け止め、天から与えられた命をどう全うすべきか、その答えを見いだせず、計り知れないほどの苦しみを抱えている人たちにも、目を向けなければなりません。
超高齢化社会の真っ只中にある日本では、高齢者の介護が大きな社会問題としてクローズアップされています。介護の果てに思い余って肉親を手に掛ける、無理心中をするなど、傷ましい事件が後を絶ちません。また高齢者の介護にとどまらず、現代の医療で治る見込みのない難病を抱えた肉親の介護など肉体的・金銭的な負担から思わず手を掛けてしまう悲惨な事件も起きています。長期にわたる治療は本人のみならず家族にも大きな負担を強いることになります。
2021年、筋力が徐々に低下する難病「筋ジストロフィー」を患った娘を、母親が思い余って手に掛ける事件が起こりました。筋ジストロフィーは遺伝子の変異が原因で、筋肉の構造を正常に保つ細胞機能を維持できなくなり、筋肉の変性や壊死につながり、様々な機能障害を引き起こし死に至らしめる病気ですが、現代医学をもってしても、治療法は未だ確立されていません。
この裁判で裁判官は執行猶予付きの有罪を言い渡しました。公判では、家族4人が筋ジストロフィー患者になった壮絶な介護経験が明らかにされました。筋ジストロフィーを患う夫、長女、次女、三女の4人を1人で介護し、食事や風呂の介助、病院の付き添いなど経済的にも苦しい中、少しずつ症状の重くなる家族を一人で支えましたが、夫と長女、三女が亡くなり、残された次女も寝たきりの状態になりました。母親は心身ともにボロボロになりながら介護を続けましたが、思い余って手に掛ける結末となりました。この母親のおかれた悲劇的な人生に、執行猶予とはいえ有罪判決が出されたことに釈然としない「何か」を感じます。このような境遇を強いられた人びとを救うため国や行政が為すべきことがあるのではないか、司法が正しく納得性のある明確な判断を示し、国や行政の不備を指摘すべきではないだろうか、疑問は尽きることがありません。
森鴎外の「高瀬舟」は今の世相を見透かしたかのような重い問題を投げかけました。この作品は江戸時代の京都を舞台に、安楽死の是非を問う物語です。その時代流罪になった罪人は「高瀬舟」に乗せられ川を下ります。ある日、船頭の庄兵衛は「弟殺し」で遠島の刑に処された喜助を乗せます。船頭は、これまでの罪人とは違う、安らぎすら感じさせる雰囲気を持つ喜助に関心を寄せ、罪の顛末を問わずにはいられなくなります。
喜助は幼くして両親を亡くし、病床の弟を養いながら懸命に働いていました。病に伏せている弟は、大きな負担をかけている兄に、申し訳なさから「自分はいないほうが兄のため」と、罪悪感を募らせます。思いつめた弟は、小刀を喉に突き刺し自殺を図りますが、すぐには死ぬことが出来ません。あまりの苦しさに「小刀を引き抜いてくれ」と、兄に懇願します。喜助は狼狽えながらも、苦しむ弟の姿を目のあたりにして突き刺さった小刀を引き抜きます。
その話を聞いた庄兵衛は弟の願いを聞き、苦しみを取り除いた行為が果たして「人殺しなのだろうか」、「奉行所が下した〝裁き〟なのだから、喜助は罪人なんだ」と、自分に言い聞かせますが、腑に落ちない思いは最後まで庄兵衛の中に残り続けます。(森鴎外著「高瀬舟」)
奉行所が下した裁きは、耐え難い苦しみから逃れ死を懇願する人を苦痛から解放するため安楽死の手助けをすることを罪とした結果ですが、おそらく喜助は心の中では死を導いたことに対するわだかまりがあったにせよ、罪の意識はなく、むしろ自らの行為を「これでよかった」と思う気持ちが優っていたことは想像に難くありません。庄兵衛の「やむに已まれず手を下した行為に、罪を問えるのだろうか」という納得のいかない心情を理解することができます。
2024年12月現在、世界で安楽死・医師幇助自殺の何れも容認している国および地域はオランダ、ルクセンブルク、ベルギー、スペイン、カナダ、コロンビア、ニュージーランド、それに2024年11月の議会で賛成多数で「安楽死」を可決したイギリスなど8カ国とオーストラリアの一部地域となっています。
神戸大学大学院法学研究科の丸山英二名誉教授は、第一回釧路国際生命倫理フォーラムで「終末期医療と生命倫理」について講演、安楽死や尊厳死について「医療と法的側面」から問題を提起しています。世界で最も進んだ長寿国と言われる日本では病気や孤独に苦しみながらも「生」を選ぶ人々か大勢います。
自らの「存在価値」を維持するために「死」を選択するか、また「病や苦しみに耐えながら”死“を選ぶか。「死ぬことは怖くないの。この痛みとともにじわじわと死んでいくのが恐怖なの~16時間後に死が迫った彼女は静かに答えた」(「安楽死を遂げるまで」宮下洋一著・小学館)。世界で最も進んだ長寿国・日本は今、根源的かつ重大な“選択”を迫られていると思います。
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