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アーカイブ PRESIDENT Online 2022/02/01 水野 泰志
「五輪反対デモにお金をもらって参加した」ウソ字幕で大炎上してもNHKが絶対に口にしない"2つの言葉"
NHKが2021年12月26日に放送したドキュメンタリー番組「BS1スペシャル・河瀬直美が見つめた東京五輪」で、番組に登場した男性を「五輪反対デモにお金をもらって参加した」という趣旨の字幕をつけて紹介したが、まったくの事実誤認と判明、「捏造ねつぞう疑惑」が一気に浮上した。
五輪開催の是非をめぐって世論が二分された中で、反対運動を愚弄するセンシティブな問題だけに、「字幕事件」をめぐる真相究明はドロ沼の様相を呈している。
「捏造疑惑」を必死になって否定するNHKの釈明は二転三転し、「みなさまのNHK」の信用はガタ落ち。放送番組・倫理向上委員会(BPO)も乗り出し、歴史的な一大不祥事に発展しつつある。
もっとも、コロナ禍の中で菅義偉・前政権が決行した五輪を全面支援したNHKが、一時であれ反対運動に水を差したことは、「政府のお抱え放送局」の面目を大いに施したようにみえる……。
NHKの「捏造疑惑」といえば、2014年に「クローズアップ現代」の「出家詐欺」をめぐる「やらせ事件」が記憶に新しい。
同時に、東京MXテレビが17年に起こした情報バラエティー番組「ニュース女子」の「沖縄米軍基地反対運動」をめぐる「捏造疑惑」も思い浮かぶ。
放送番組の「捏造」や「やらせ」の問題は後を絶たないが、今回の「字幕事件」は、NHKのみならず放送界全体に番組制作のあり方をあらためて問いかけている。
「BS1スペシャル・河瀬直美が見つめた東京五輪」は、今夏に公開が予定されている2020東京五輪の公式記録映画の総監督を務める河瀨直美さんに密着取材し、東京五輪をさまざまな視点から見つめようという企画の番組だ。
問題のシーンは、公式記録映画スタッフの映画監督の島田角栄さんが五輪反対派の声を集める中で出会った匿名の男性のインタビュー。そのとき、男性が話したわけでもないのに、「五輪反対デモに参加している」「実はお金をもらって動員されていると打ち明けた」というキーワードが字幕で入った。
つまり、「五輪反対デモは、カネによって動員されていた」というのである。
衝撃的な内容だけに、放送直後からネットでは「五輪反対運動をおとしめるもの」などと炎上、抗議が相次ぐ大騒動になった。
そうこうするうちに、年が明けた1月9日、番組を制作したNHK大阪放送局の堀岡淳局長代行が「当該男性が五輪反対デモに参加した事実は確認できなかった」として、「字幕の一部に不確かな内容があった」と謝罪した。「虚偽放送」だったことを認めたのである。
番組を制作した大阪放送局によると、男性の発言は、実際には「過去に(五輪以外の)デモに参加したことがあり、金銭を受け取ったことがある」「今後、五輪反対デモに参加しようと考えている」と、字幕とはまるで似て非なる内容だったという。
事実と異なる字幕が入った原因については「制作担当者が、男性が五輪反対デモに参加したと思い込み、事実関係を確認しなかった」と釈明した。まったく裏付け取材をしていなかったのである。にもかかわわらず、「捏造の意図はなかった」と強調した。
だが、単なる「思い込み」で片づけるには、事態はあまりに深刻で、一放送局の一局長代行の謝罪で幕引きとはならなかった。
NHKの前田晃伸会長は13日の記者会見で、「チェック機能が十分に働かなかった。率直に言って、非常にお粗末」と陳謝する羽目に。
一方、角英夫・大阪放送局長も同じ日の記者会見で、「報道機関として最も守るべきことができていなかった」と自省したが、あらためて「捏造や、やらせではない」と強弁。さらに、「視聴者は男性が五輪反対デモに参加したと受け取るのが自然だ」と指摘されても正面から答えず、追加調査や番組の検証にも応じようとしなかった。
「謝罪すれば、それで十分」という姿勢が露骨に見られ、とてもコトの重大性を認識しているようには見えなかった。
19日に、正籬聡放送総局長の記者会見で、NHK内の番組チェックの経緯について、試写段階で番組のプロデューサーが、取材したディレクターに字幕の内容の確認を指示したところ、ディレクターは「島田さんに確認した」と報告、プロデューサーは問題の字幕も確認済みと認識した、と説明した。
ところが翌20日、責任の一端を担わされた形になった島田さんが「ディレクターからの確認はなかった」と反論、「NHKの経緯説明には誤りがある。大変憤慨している」と抗議、訂正を求めた。
あわてたNHKは24日になって、一転して、字幕の内容は男性本人はおろか島田さんにも確認しておらずディレクターが虚偽の報告をしていたと表明、19日の経緯説明を「誤解を与えた」として全面撤回した。
開いた口がふさがらないというのは、こういうことか。責任のなすりつけ合いは、醜悪にさえ見える。NHK内で、問題の番組をめぐる基本的な情報さえ共有されていないことが露見してしまった。
そして、ついに同日、NHKは、「字幕問題」の原因や背景を正確に把握するため、松坂千尋専務理事を責任者とする「BS1スペシャル調査チーム」を立ち上げた。当初は「大事に至らず」とタカをくくっていたようだが、度重なる失態と厳しい追及を受けて、やっと重い腰を上げたのである。
この間、BPOの放送倫理検証員会は、NHKに対し、番組の制作過程などについて、文書で報告を求めることを決定、審議入りに向けた準備を始めた。小町谷育子委員長(弁護士)は「頭の中に疑問符がいっぱい」と、疑念を隠さなかった。
「カネで買われた五輪反対デモ」と虚報を報じた「字幕事件」は、さまざまな論点が指摘される。
②五輪反対運動をおとしめようとする意図があったのか
⑤河瀬直美総監督はNHKが謝罪するまでなぜ沈黙していたのか
番組制作の過程はともかく、当該男性の発言と番組の字幕は似て非なるもので、事実を歪曲わいきょくして放送した以上、「捏造」と断定されても仕方がない。「不確かな内容」とか「誤解を与えた」とか、言葉をもて遊んでいる場合ではない。もはや「捏造」という言葉の解釈論ではない状況を直視すべきだろう。
メディアの報道も、大半が批判的で、NHK擁護論はほとんど見当たらない。
元BPO委員の服部孝章・立教大名誉教授は「取材で確認できていない内容を字幕にしたという点で、事実上の捏造にあたると考えられる。NHKは問題を矮小わいしょう化せずに、徹底的に自己検証すべきだ」(1月14日付朝日新聞)と厳しい。
「やらせ」「捏造」…“2つの言葉”に最後まで抵抗した過去
NHKの「捏造疑惑」といえば、思い起こされるのが14年5月14日に放送された報道番組「クローズアップ現代」の「追跡 “出家詐欺”~狙われる宗教法人~」の「やらせ疑惑」。
多重債務者が出家して戸籍名を変え、債務記録の照会を困難にする「出家詐欺」を特集したが、匿名で詐欺に関わるブローカーとして紹介された男性が「NHK記者の指示で架空の人物を演じた」と証言した「事件」である。
NHKは、「過剰な演出や誤解を与える編集があった」と認め、記者ら15人の大量処分をしながらも、「やらせ」や「捏造」という言葉を使うことには、最後まで抵抗した。
今回の「字幕事件」は、国を挙げてのビッグイベントで国民の大きな関心事となった東京五輪がテーマだけに、影響は「クローズアップ現代」の比ではない。
NHKが火消しに躍起になればなるほど、「捏造疑惑」が燃え上がるという負のスパイラルに陥っている。
NHKとして、五輪反対運動をおとしめようとする意図があったとは、まだ言い切れない。担当ディレクターが、なぜ事実を歪曲して字幕を入れたのかが、いまだ判然としないからだ。
だが、結果として、「カネで買われた五輪反対デモ」を視聴者に印象付けて五輪反対派を誹謗中傷したことになったのだから、その罪はきわめて重い。
五輪開催に反対する団体は「反対運動に参加した多くの人の名誉を棄損した悪質な番組」「デモの参加者はカネで動員されているというレッテル貼り」「五輪に反対する人々の思いを踏みにじった」と憤り、NHKに抗議したというが、当然だろう。
もともと、NHKは、五輪礼賛の空気が局全体を覆っていて、反対運動には冷ややかだったといわれる。このため、反対運動の理不尽さを訴え、五輪支持を広げる世論操作に走ったと推測する向きもあるようだ。
影山貴彦同志社女子大教授は、1月14日付毎日新聞に「NHKの側に何か意図的なものがあったと疑わざるを得ない。視聴者が、五輪反対デモはお金をもらえるからやっている、いかがわしいものだと感じる恐れがある。
中立であるべきメディアが、世論を二分したオリンピック開催の賛否について、視聴者を賛成の方向に誘導しようと受け止められても仕方がない」とコメントを寄せている。
NHKは、「字幕事件」の真相を「担当ディレクターの思い込み」と矮小化し、「捏造や意図的な編集はなかった」と繰り返しているが、はたして素直に受け止める人がどれだけいるだろうか。
③のチェック機能が働かなかった問題については、実に不可思議な点が多い。
「クローズアップ現代」の「やらせ疑惑」の反省から、NHKはさまざまな再発防止策をとったはずだった。
一例を挙げれば、担当外の職員が複数参加して放送前の番組を確認する「複眼的試写」の実施や、匿名で放送する必要性を判断する「匿名チェックシート」の導入を、すべての番組で行うとしていた。
ところが、今回の「字幕事件」では、いずれの防止策もほとんど機能しなかった。
試写は何回も行われたものの、制作に関わっていない職員は参加せず、立ち会ったのはディレクターらの直属上司である専任部長だけ。しかも、専任部長は「これ本当に大丈夫?」「大丈夫です」という簡単な口頭確認をしただけで、それ以上の事実確認を求めなかったという。
後に、ディレクターの報告自体が虚偽だったことが判明するが、もともとチェックシステムがザル以下だったと言わざるを得ない。
また、「匿名チェックシート」についても、角英夫・大阪放送局長は「シートを使う事案だと、上司を含めて思い至らなかった」と、組織を上げて再発防止策を運用する意識に欠けていたことを暴露してしまった。
慎重を期すべきテーマを取り上げているのに、どうして再発防止策が絵に描いた餅になってしまったのだろうか。
ともあれ、「五輪反対デモがカネで買われている」という事実とは異なる字幕が、ものの見事に多重に用意されたチェックシステムをスルーして放送されてしまったのである。
④については、NHKがようやく「調査チーム」を立ち上げたが、真相究明には時間がかかりそうだ。
取材対象者をどのように選んだのか、どの取材対象者も顔出しなのに当該男性だけなぜモザイクをかけたのか、匿名にもかかわらず番組に起用したのはなぜか、など、まだまだ不明な点が多い。
砂川浩慶・立教大教授は「受信料で運営されている公共放送は疑念を持たれたら、調べて説明する責務がある。検証して結果を番組として放送すべきだ」(1月15日付け読売新聞)と指摘している。
NHKが内輪のメンバーだけで調査して、形式的なお手盛りの報告でお茶を濁すようでは、視聴者の信用を取り戻すことは難しい。
このため、各方面から「NHKの検証能力には疑問がある。BPOのような第三者が調査するべき」という声が聞こえてくる。BPOの元委員の1人は「取材対象の発言の裏付け取材をしていなかったのであれば、重大な放送倫理違反があったことになる」と、BPOで審議することを求めている。
自らの密着取材の番組で、五輪反対運動を汚す字幕が流れ、公式記録映画の客観性や中立性を疑わせかねない重大事態が起きたにもかかわらず、どうして放送から半月も沈黙したまま、NHKにクレームをつけなかったのか。
「字幕事件」の発覚後、NHKは「すべての責任はNHKにあり、河瀬直美さんに責任はありません」と強調した。
これを受ける形で、河瀬さんは11日になって初めて「NHKの取材班には、オリンピック映画に臨む中で、私が感じている想いを一貫してお伝えしてきたつもりでしたので、公式映画チームが取材をした事実と異なる内容が含まれていたことが、本当に、残念でなりません」とコメントを出しただけ。
河瀬さんは、当初から番組の偏向性を認識していなかったのか、それとも承知していたにもかかわらずあえて黙認していたのか。番組の主役が「残念です」とひとごとのように振る舞っていては、できあがった公式映画の価値も色あせてしまう。
河瀬さんの五輪への執着やNHKとの蜜月ぶりは週刊文春(1月20号)に詳しいが、このままではNHKと同様に五輪反対運動に冷淡だったと言われかねない。自らの立ち位置を鮮明にするためにも、河瀬さんの存念を聞きたいところだ。
「反対運動がカネで動員された」という「捏造疑惑」は、東京MXテレビが17年1月2日に放送した「ニュース女子」の沖縄の米軍ヘリパッド建設工事の反対運動をめぐる「捏造疑惑」と酷似している。
番組では、反対派の人たちを「テロリストみたい」と揶揄やゆし、何らかの組織に雇われ「日当」をもらっているというデマを流した。
東京MXテレビは「捏造」を認めなかったが、BPOは「重大な放送倫理違反があった」と断じ、司法による名誉棄損も認定された。裏付け取材をまったくせずに、反対運動をおとしめることになった構図は、二重写しになる。
2つの「事件」に根底で共通するのは、「公権力に逆らう人を疎ましく感じる意識」や「人はカネでしか動かないという偏見」ではないだろうか。
「ニュース女子」は、当時、東京MXテレビの最大のスポンサーであった化粧品会社DHCグループの持ち込み番組だった。一介の民間企業が独自に制作した情報バラエティー番組と、NHKが総力を挙げて制作したドキュメンタリー番組が、根っこの部分で同じ価値観を共有していたとあっては、お笑い種ぐさにもならない。
五輪反対デモに関わった人たちも、受信料を払っている「視聴者」である。「字幕事件」は、国民の受信料で成り立つ「公共放送」を自認するNHKが、自ら看板を下ろさざるを得ないような大事件といっても過言でないことを、NHKは肝に銘じなければならないだろう。
放送番組の「捏造疑惑」は後を絶たないが、それは自らのクビを絞めることにほかならない。テレビ離れが進む中、NHKも民放も含めた放送界は、危機感をもって足元から自らを見つめ直さなければならない。
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