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アーカイブ PRESIDENT Online 2024/07/31 水野 泰志
東大卒・キャリア官僚の「指定席」だったのに…若者に見放された就職先・国家公務員の"夏の人事"で起きた異変
中央省庁(霞が関)の役人(キャリア官僚)の人事など、読者はほとんど興味がないかもしれないが、この夏、年に一度の恒例の異動で、霞が関の住人がびっくりするような仰天人事が発令された。
「びっくり」の中身は、総務省の事務次官に初めて「技官」が起用されたこと。どれほど「びっくり」なのかを順次、説いていく。
中央省庁の事務方トップの事務次官は総合職の「事務官」の指定席とされており、霞が関広しといえど「技官」が就任するケースは技監ポストを擁する旧建設省の流れを組む国土交通省で慣例的にみられる程度だ。
旧自治省、旧郵政省、旧総務庁33省庁を統合した総務省では、2001年の発足以来、それぞれの省庁出身の「事務官」が交互に事務次官に就いており、「技官」が事務次官ポストに割って入る余地はまったくなかった。
3年前の「総務省接待事件」で当時の旧郵政省出身の総務省幹部が軒並み更迭され、適齢期の「事務官」が払底した事情はあるが、霞が関人事を握る首相官邸の英断ともいえる。
「事務官」「男性」「東大卒」といった官界ヒエラルキーが厳然と存在する中、霞が関のダイバーシティー(多様性)を具現化したシンボルにもなりそうだ。今後、霞が関で「技官」が活躍する場所が増えることが期待され、地方自治体や民間の人材登用にも好影響を与えるかもしれない。
新しい総務事務次官に就任したのは、竹内芳明氏、62歳。
香川県多度津町の出身で、高松高専(現香川高専)、東北大工学部通信工学科を卒業し、1985年に旧郵政省に入省。宇宙通信政策課長、電気通信技術システム課長、移動通信課長、技術政策課長、電波政策課長、電波部長など技術畑の要職を次々に務め、2018年にサイバーセキュリティ統括官、さらに総合通信基盤局長と局長級ポストを歴任、そして2021年に次官級ポストの総務審議官に就いた。
総務省では、これまでにも次官級の総務審議官を務めた旧郵政省出身の「技官」は数人いたが、いずれも国際担当で、旧郵政省の祖業である郵政・通信を担当した「技官」は竹内氏が初めて。しかも、通例1年の在任期間が、2年どころか、3年という異例の長期に及んだ。
その間、電波オークションの導入、携帯電話のプラチナバンドの楽天モバイルへの割り当て、NHKのネット事業の必須業務化、NTTの国際競争力強化など、長年の懸案を陣頭で指揮を取って次々に処理し、実績を上げてきた。
なかでも、難物とされる首相官邸や自民党の有力政治家との調整に奔走し、巧みに落としどころを探ってきたという。
人となりは、温厚で、飾らず、腰も低く、親しみやすい。「技官」というと専門分野にとらわれやすいイメージがあるが、幅広い知見と粘り強い交渉力は「事務官」に優るとも劣らないといわれる。
そんなところが、霞が関の幹部人事を司る内閣人事局長を兼任する栗生俊一官房副長官(事務)はじめ首相官邸の信頼を得られたようだ。
あらためて、国家公務員のキャリア官僚(総合職)について整理してみる。
その身分は「事務官」と「技官」に大別(ほかに教官がある)され、両者は国家公務員採用試験を受ける時点で選ぶ職種で決まる。基本的に、「事務官」は、行政、法律、経済など。「技官」は、土木、機械、建築など。最初の選択で、退官するまでの昇進するルートやポストがほぼ自動的に決まる。
中央省庁の事務次官ポストは、国土交通省を除けば、事実上、「事務官」で占められている。局長級ポストでさえ「技官」が就くのは、総務省のほか、厚生労働省、農林水産省など、レアケースだ。つまり、霞が関は、圧倒的に「事務官」優位の世界なのである。ひと口にキャリア官僚といっても、その内実は、ある種の歴然とした格差が存在している。
そんな中で、マンモス官庁である総務省の事務次官に「技官」が就任したのだから、霞が関官僚の驚きは半端ではなかった。なにしろ、キャリア官僚にとって、人事は最大の関心事なのだから。
主要省庁の幹部人事の基本的なシステムは、毎年20人程度採用される「事務官」(いわゆる幹部候補生)=同期入省組の中から、順々に淘汰されて、局長ポストに数人、事務次官ポストに1人が残っていく(もちろん、例外はあり)。
だから、主要ポストに「技官」が就けば、「事務官」の座る幹部ポストが一つ減るわけで、ポスト争いにいそしむ「事務官」にとっては一大事なのである。
ここからは、霞が関のトップ官僚の名前が次々に出てくる。一般への知名度はきわめて低くなじみがないため、興味は薄いかもしれないが、日本丸を実質的に動かしている面々なので、頭の片隅にでも留めていただければありがたい。
今夏の主要官庁の事務次官人事を入省年次でみると、財務省の新川浩嗣氏は87年(61歳)、厚生労働省の伊原和人氏も87年(59歳)、農林水産省の渡辺毅氏は88年(60歳)で、85年の竹内氏は突出して古い。ちなみに、上記3氏は、いずれも「東大卒」だ。
従来の人事慣行でいえば、竹内氏は、「技官」であるうえ、入省年次的にも、年齢的にも、退官してもおかしくなかった。
総務省の場合、消防庁長官から総務審議官に転じた原邦彰氏は、88年旧自治省出身入省の59歳。やはり「東大卒」で、かねてから事務次官の有力候補とされており、「横ならび」を気にする霞が関だけに、一気に事務次官に起用という見方もあった。
ところが、直近の事務次官の出身官庁は、旧自治省、旧総務庁、旧自治省と続き、今回も旧自治省からとなると、統合官庁としての人事バランスが著しく損なわれかねないという懸念があった。
旧郵政省出身の事務次官は、2019年に任期途中で日本郵政グループへの情報漏洩問題で辞職した鈴木茂樹氏が最後。しかも、「総務省接待事件」の影響もあって、旧郵政人脈の「事務官」で直ちに事務次官を狙えそうな有力候補が見当たらなかったともいわれる(このあたりの事情は後述する)。
もろもろの事情が交錯し、「事務官優遇」「横ならび」という霞が関の不文律を打ち破った異例の抜擢人事が発令されたのである。
すでに、女性の事務次官は、旧労働省の松原亘子氏(1997年就任)と、厚生労働省の村木厚子氏(2013年就任)の2人が誕生している。村木氏は、郵便不正事件で冤罪をかけられた問題が記憶に新しい。
それだけに、事実上、初めての「技官」の事務次官起用は特筆すべきできごとだろう。専門分野に特化し「縁の下の力持ち」のポジションに就いてきた「技官」にとって、朗報となったことは間違いない。
「びっくり」で始まった総務省の事務次官人事だが、旧郵政省出身のOBをはじめ総務省OBは、おおむね好意的に受け止めているようだ。
一躍脚光を浴びた竹内氏は「めぐり合わせではあるが、自然体でしっかりと職責を果たしていきたい」と淡々と語っている。
「技官」の事務次官が誕生した背景に浮かぶのが、2021年2月に発覚した「衛星放送会社・東北新社による総務省幹部接待事件」だ。
菅義偉首相(当時)の長男・菅正剛氏をはじめとする東北新社の役員が、長年にわたって監督官庁である総務省の幹部を接待していた問題である(参考:本サイト2021年3月1日付「菅首相の長男との"仲間意識"」総務省幹部の規律が緩みきっていた根本原因」)。
国家公務員倫理規程が禁じる「利害関係者からの違法接待や金品贈与」を受けたとして、事務次官の有力候補で総務官僚ナンバー2の谷脇康彦総務審議官(郵政・通信担当、84年旧郵政省入省)を筆頭に、吉田眞人総務審議官(85年同)、秋本芳徳情報流通行政局長(88年同)、奈良俊哉内閣官房内閣審議官(86年同)ら、旧郵政省出身のキャリア官僚が軒並み懲戒処分を受けた。
この間、東北新社による放送法の外資規制違反事件も露見。さらに、時を同じくしてNTTによる接待問題が明らかになり、総務省は大混乱に陥った。
そして、谷脇氏をはじめ旧郵政人脈の主要官僚が、辞職や更迭で相次いで総務省を去るという、かつてない大事件に発展した。ちなみに、情報流通行政局長や総務審議官(国際担当)の経験者で、女性で初の首相秘書官を務めた山田真貴子内閣広報官(84年同)も接待事件に関わったとして辞職した。
情報通信行政を担う旧郵政人脈が壊滅的な打撃を受ける中、空席となっていた総務審議官ポストに就いたのが、総合通信基盤局長だった「技官」の竹内氏である。「接待事件」とは無縁だったことが幸いしたようだ。
それから3年間、機能不全に陥りかけた情報通信行政の屋台骨を懸命に支えてきたのである。
「接待事件」では、幹部のみならず、審議官以下課長クラスの多くも懲戒処分を受けた。「総務官僚は、総務省に影響力の強い菅首相の息子に誘われたら断れない」との同情論もあったが、処分を回避する理由にはならなかった。
国家公務員の懲戒処分は免職、停職、減給、戒告の4段階あり、戒告を受けると1年間、減給処分は1年半、停職の場合は2年間、昇任できない。
ところが、今夏の人事で、謹慎組が続々と復権したのだ。
減給処分になった湯本正信氏(90年同)は総合通信基盤局長、戒告処分の豊嶋基暢氏(91年同)は情報流通行政局長、同じく玉田康人氏(90年同)は局長級の総括審議官に就いた。
いずれも情報通信行政を担う責任者のポストである。「3年間の喪」が明けたというわけだ。
総務審議官には今川拓郎総合通信基盤局長(90年同)が昇格し、国際戦略局長には次の次の事務次官を視野に入れて官房長から転じた竹村晃一氏(89年同)が控える。
ようやく旧郵政人脈の人事が回復基調に乗ったように映る。
ネットの偽情報対策、巨大IT企業の規制、ネット受信料の具体化、NTT法の廃止問題など懸案が山積する中、竹内芳明事務次官以下新たな布陣が難題に立ち向かうことになる。いささか停滞していた観のある情報通信行政に新しい風が吹くことが期待される。
最後に、今回の「技官」の事務次官起用の意義と影響について考えてみたい。
日本丸を動かす官僚機構は、もっとも優秀な頭脳集団と言われてきた。その集団を率いるのはキャリア官僚(国歌公務員総合職)と呼ばれる一群で、事務次官をトップに局長や課長など中央省庁の要職を務めている。
だが、そのキャリア官僚の中には、長く、眼に見えないヒエラルキーが存在してきた。キーワードは「事務官」「男性」「東大卒」……。つまり、「技官」や「女性」、「東大卒以外」は格下に見られていたのだ。
ところが、近年、こうした「霞が関文化」や「霞が関哲学」に地殻変動が起こりつつある。
それは、2024年の国家公務員総合職試験の結果に如実に表れた。
1953人の合格者のうち、「女性」は過去2番目に多い652人で、3人に1人を占めた。一方、「東大卒」は189人と1割を切り、現行の試験制度になってから過去最少。4人に1人は「東大卒」だった10年ほど前に比べ激減してしまった。
人事院の報道発表資料より。2024年度国家公務員採用総合職試験(春)の出身大学別合格者
つまり、中期的にみれば、性別や学歴にこだわらない土壌が霞が関全体に育まれつつあると言っていい。
そこに、「技官」で「東北大卒」の事務次官の登場である。「技官」のモチベーションも確実に上がるだろう。
「事務官」「男性」「東大卒」優位のヒエラルキーはもういらない
それは、一過性の抜擢人事ではなく、「ダイバーシティー(多様性)」を重視する時代の要請だったともいえる。
最近は、国会答弁の作成作業などで残業が多く、給与も民間の大手企業に比べて見劣りするため、キャリア官僚の魅力が薄れているという。だが、従来の「霞が関文化」とは一線を引いた人材が多用されるようになれば、霞が関の住人や志望者の意識は変わっていくに違いない。
一部のエリート官僚にだけ通用した「霞が関哲学」ではなく、霞が関の新時代を担う官僚群による国民目線に立った多様な政策が展開されることを期待したい。
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