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アーカイブ 月刊ニューメディア 2024年3月号 水野 泰志
Mizuno's EYE メディア激動研究所代表・水野泰志
稲葉延雄・元日銀理事がNHK会長に就任して丸1年。不祥事に翻弄され、おわび三昧で、またたく間に過ぎてしまった感がある。一方で、ネット事業が「必須業務」と位置づけられ、70年の歴史を刻んできたNHKにとって大きな転換点を迎えた。ただ、「公共メディア」への道筋が開けたとはいえ、ネット受信料はまだ霧の中。受信料の大幅値下げで赤字予算を余儀なくされ、ガバナンスの再構築も迫られる。2年目を迎える「稲葉・NHK」は、厳しい試練を乗り切れるだろうか。
金融界とは縁遠いメディア界に飛び込んだ稲葉会長は1年前の就任会見で、「私の役割は改革の検証と発展」と語り、前田伸晃・前会長の路線を基本的に踏襲する考えを表明。また、「報道は、真実の探求のためしっかり取材し、NHKらしい真摯な姿勢で公正公平で確かな情報をお届けしたい」と意気込んだ。
まず、前田氏が残したBS配信の不適切予算問題で裏切られた。ネット業務で認められていないBS番組の同時配信に向けて、関連設備を購入するため約9億円の支出を決裁していたことが発覚したのだ。稲葉会長の最初の大仕事は、前田路線の尻拭いをするため、国会で陳謝することだった。
5月にコロナ禍をめぐる「ニュースウォッチ9」の報道で、ワクチン接種後に亡くなった人の遺族を、感染者の遺族であるかのように取り上げてしまったのだ。放送倫理・番組向上機構(BPO)は「事実を正確に伝えるという基本を逸脱した」と断罪し、「ジャーナリズムに関わる感度の底上げが焦眉の課題」と異例の注文をつけた。「報道機関失格」ともいえる指弾だった。
不祥事は、これだけにとどまらない。2月に、札幌放送局の男性アナウンサーが元同僚女性宅に侵入して逮捕。4月には、百済寺でのロケ中に国重要文化財の本堂の一部を破損。11月に報道局の記者が私的な飲食費を取材名目で経費請求して懲戒免職。12月には首都圏局の記者が作成した取材メモが子会社の派遣スタッフの手でネットに流出した。
稲葉会長は、公式の場に現れるたびに、頭を下げていたように見える。
総務省の有識者会議が、ネット事業を放送と同じ「必須業務」とする意見を取りまとめたのだ。10年越しで取り組んできたNHKの悲願が成就したのである。
その重みを稲葉会長がどれほど理解しているかはうかがいしれないが、放送と通信の融合という歴史的転換点に臨むトップの舵取りは、未開の大海原に漕ぎ出すがごとくである。歴代会長のだれも経験したことがない難事を任される役回りになった。
法的な枠組みは総務省が用意するものの、具体策を示すのはNHK自身にほかならない。だが、肝心なネット受信料を「だれから、いくら、どのように、徴収するのか」という議論は、すべてこれから。必須業務化で「放送と同一の内容」が求められるのに、BS放送の配信は消極的とも伝わってくる。放送とネットで異なる著作権問題をクリアして、高校野球や大リーグのスポーツ番組を配信できるだろうか。日本新聞協会や日本民間放送連盟が反発している文字ニュースをどのように扱うかも定まっていない。赤字予算の中で、ネット事業に十分な投を確保できるかとなると、きわめて心もとない。
何より喫緊のテーマは、報道機関としての信頼回復だ。誤報や虚報の徹底排除、フェイクニュース対策、政権との距離感など、国民の鋭い視線に応えられるだろうか。
加えて、ガバナンス、綱紀粛正、財政運営、テレビ離れ‥クリアすべき課題は山積している。
名実ともに「公共メディア」へ脱皮するためには、この1年が正念場である。
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