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    アーカイブ 秋田朝日放送 コラム 2019/04/08 桜井 元
    「戦友」をまた失った(秋田朝日放送コラム)
     秋田に来るまでの4年間、勤務した東日本放送(KHB)東京支社営業部員の守谷ちひろさん(37)が亡くなった。訃報を受けたのは2日、プロ野球「楽天イーグルス」のホーム開幕戦に招かれ、仙台へ向かう新幹線の車内だった。3月下旬に、重篤だと聞いてはいたが、あまりに早い旅立ちに驚くと同時に、大震災の直後、報道記者として頑張った彼女の姿を思い出した。
     震災のあと、応援に来てくれた約180人の系列の仲間たちと手分けして、守谷さんは避難所を回り、名取市の閖上や亘理町といった被害の大きな沿岸部に出かけていった。守谷さん自身のリクエストかどうかは覚えていないが、「女性社員の中で口内炎に悩む人が出ている」と聞き、すぐにテレビ朝日の当時の総務局長(現・社長)に電話をし、「小さなチューブでよいので、口内炎の薬を1箱送ってください」と頼んだ。「えっ、社員の口の中まで面倒みているの?」と言われたが、2日後に24個入りの箱が届いた。
     真っ先に「薬を取り寄せてくださって、助かりました」と笑顔で礼を言いに来たのが、守谷さんだった。
     喪主をつとめた父・早苗さんによると、守谷さんは一昨年夏、子宮頸がんの手術を受け、職場に復帰したものの、転移しやすいタイプで国内に症例がなく、半年ほどたって、転移が認められ、厳しい闘病生活に入った。脚の骨にも転移し、歩くのがつらくなって、車いすを使った。それでも、3月初めには「あれから8年たった閖上、亘理へ行きたい」と言い出し、車いすを降りて、自分の足で被災地の感触を確かめたという。
     福島女子高では合唱部の部長、新潟大学ではオーケストラのバイオリンに打ち込んだという。音楽だけでなく、通夜・葬儀でスクリーンに投影した写真、遺影まで自分で選んだ。遺影は、ウィスキーだろうか、グラスを傾けて笑顔の写真。怪訝な顔をした父親に「これが私らしいでしょ」と笑みを浮かべたという。弔辞を読んだ東京支社長も、守谷さん本人の指名だった。
     KHBでは、震災をともにくぐり抜けた当時の報道局長も、ほどなく肝臓を病んで他界した。大切な「戦友」をまた1人、失った。
     4日、実家のある福島市で営まれた通夜に参列した。「平成」を「昭和」に取り替えると、私自身の誕生日。「彼女と音楽の話もしたかったなあ」。とても悲しいバースデーだった。
          ◇
     震災後1年間を振り返る社内座談会(KHB社内報『ひろがり』2012年春号)で、守谷さんは「復興関連のニュースを伝えるのは良いことですが、行政組織や被災地の中でも温度差が生じ始めているので、さまざまな明と暗を伝えていかなければいけない。全国放送は明るいニュースを採り上げたがるのですが、それでは被災地が忘れ去られることになるので、フィールドをさらに広げながら、取材活動を続けます」と今後の仕事への思いを語った。彼女のバトンは、誰かに引き継がれたのだろうか。
    (末尾の1段落を加筆、一部修正しました)



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