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    アーカイブ 森林文化教会 『グリーン・パワー』1999年5月号「ドイツの森から」 1999/05/01 桜井 元
    5月の木(森林文化教会『グリーン・パワー』1999年5月号「ドイツの森から」)
     朝、自宅から出かけようとして、玄関口に2㍍ほどの木が立てかけてあるのに気づく。それも色とりどりの紙テープで、七夕のササのように飾り立てたシラカバが……。
     ケルンやボンなどドイツ西部、ライン川沿いのラインラント地方で5月1日の朝、こんな経験をした女性は少なくない。「マイバウム」 、5月の木という習わしだ。
     独身男性が恋心を打ち明けるため、夜中のうちに、彼女の戸口までそっと運んでいく。4月30日の深夜には、シラカバを肩にかついだり、車の屋根の上にスキーをのせるように積んだりして、作戦決行に及ぶ青年を見かける。
     いまパリに住むアンドレアさんは2年前、ボンでマイバウムをもらった。「だれが持ってきたんだろう」。木に名前を書くわけでもないし、飾りにも手がかりはない。心当たりの2、3人にたずねたが、「僕じゃない」という。そのまま、しばらく玄関に置いていたら、雨にうたれて紙テープの色が落ちた。短く切って、バイオごみ(枯れ葉や花、果物の皮などの分別収集)の日に捨てた。贈り主は今も分からない。
     北ドイツ出身の女子学生は昨年、自宅前のシラカバの木を見て怒り出した。この地方の習俗をよく知らず、まず「勝手に置いてじゃまになる」と思ったし、その意味も強い「求婚」の意思表示だと誤解したからだった。
     シラカバは、冬の寒さに耐えて育ち、生命力が強いと考えられている。優雅さ、光や明るさの象徴でもある。
     4年に1度、うるう年には女性から男性にシラカバを贈ることもできる。大嫌いな人の家の前には、モミの木の幹を持ち込み「あんたは嫌われ者」といやがらせをしてもよい。幹の表面が白くてスベスベのシラカバに比べ、モミはゴツゴツしている。「手触りの違いが、好き嫌いの違いにつながるのかな」と彼女募集中のボン大学生は話す。
     木の調達が問題になる。幹の直径が数㌢でまっすぐな若木のシラカバが、かかえやすくて一番だ。「近所の家の庭で切ってきた」という猛者もいるので、庭木にシラカバのある人は心配。アウトバーン(高速道路)沿いのシラカバ並木や、公園の立ち木も狙われる。ひとりで切りに行くのではなく、どうやらグループによる「犯行」が多いようだ。
     ボン郊外に広がる森コッテンフォルストを管理するボン営林署は、「盗伐はダメ」と呼びかけ、あらかじめ切り出した手ごろなシラカバをあっせんする。ことしは約500本を大きさなどによって1本15?から20?(約1000円~1400円) で売り出す予定だ。
     ●起源は13世紀
     ところ変われば、習俗も変わる。
     南部のバイエルン州を中心とするマイバウムは、町の広場に1本、大きなシラカバが立てられる。米国などの「メイポール」に通じる習慣だ。ドイツトウヒの緑の枝で編んだ輪を下げる。ドイツトウヒは光と暖かさの到来を告げるシンボルだ。町の旗を添えたり、ペナントに町の農作業、手工業など暮らしぶりを描いてとりつけたり、それぞれ町の個性を表わす。バイエルンでは州のカラー、水色と白のしま模様に幹を塗ったり、布を巻いたりする。
     このマイバウムのまわりで、「5月祭」が繰り広げられる。集まった住民はビールやワインを手に、春の到来を喜び、豊作を祈る。マイバウムのまわりで踊ると、シラカバの力を受けて、悪魔払いになると言い伝えられる。生演奏の舞台ができて、その年の祭りのカップル「5月の王」「5月の女王」が馬にまたがって入場したりする。
     マイバウムの歴史は古い。すでに14世紀前半のラテン語文献に、好きな女性の家に木を持っていく慣習が描かれた。起源はその前の13世紀にさかのぼるらしい。フランスでも14世紀に同じような記録が残る。女性への恋愛感情だけでなく、尊敬を表わすため木を運んだこともある。広場に立てる方法は、16世紀初めの書物から登場する。
     シラカバの乱伐が問題になって、16世紀以降、当局は繰り返し禁止令を出した。見つかると罰金や杖でたたく体刑に処せられた。キリスト教会は、異教に根ざす風俗として敵視した。
     それでも、若者はやめなかった。それどころか、危険を冒してこっそり森にシラカバを切りに出かけ、無事に彼女に思いを伝えた男子学生は、仲間うちで英雄扱いされた。兵士たちの中では、「切ってくるぞ」と宣言し、実行した者は、無料でビール飲み放題というルールもあった。
     禁止してもむだだと分かると、当局や教会は逆に利用し始める。広場に立てる木は、祭りや地域のシンボルとなり、教会の寄進式にさえ登場した。宿屋や飲み屋の看板代わりに入り口に木を出す業者も現れた。17世紀には、当局が名誉のしるしとして住民代表に木を手渡す儀式も始まった。5月祭と教会の聖霊降臨祭が結びつく町も増えた。
     19世紀には「自由の木」として扱われた。だが、1848年の革命が挫折すると、この意味は失われた。でもマイバウムは生き残る。これに目をつけたのがナチスだ。アーリア民族の誇りを木にこめようとした。1933年から5月1日のメーデーを「国民労働の日」と法律で祝祭日と定め、「労働の木」を立てた。一転して戦後、1946年のメーデーは、マイバウムの立つ広場で、平和と民主主義を強調する集会が開かれた、という町が南部には多い。
     ●中学生の研究
     南西ドイツの古い大学町チュービンゲンに近いネーレン。この小さな町の中学1年生のクラスが地元のマイバウムの研究をした。研究発表によると、1930年代まで町にあった祭りの木を再建し、19㍍の高さの柱を立てるようになったのは1990年から。幹は町の色の赤・白に塗られ、19枚の金属製のペナントがぶら下げられる。5月いっぱい町の広場をいろどるマイバウムは、生徒たちの自慢でもあるらしい。
     生徒の1人ミヒャエル君は、町の長老ウェルナー・ニルさんにインタビューしている。
     「どうやって立てるのですか」
     「最初の年は、バイエルン州の消防団が来てくれて、添え木を使って立てた。翌年、われわれの町の消防団がやったがうまくいかず、クレーンを使うことにした」
     「ペナントはどうしてつくったのですか」
     「レーザー光線で切り取って、美術書を参考に町の暮らしの絵をかいた」
     「ふだんはどこに保管しますか」
     「ペナントは町役場の倉庫、柱は駅に置いてある」
     「5月31日までの期間、近くの別の町の悪ガキがやってきて、切り倒したりしませんか」
     「大丈夫、警察が見張っている」
     こうした子どもたちの研究だけではない。本格的な民俗学の研究書もたくさん出版されている。5月の伝統行事は、地方色豊かで、森から吹く春の風を、生き生きと現代の市民にも送り込んでくれる。だからこそ、研究者も興味を示すのだろうか。
     バレンタインデーのチョコレートの逆さまがシラカバの木か……。そんな軽い気持ちで調べ始めたが、マイバウムの歴史・文化的背景はたいへん深い。ドイツの森に迷い込んだ気分になった。

    1 Maibaum : 独語版ウィキペディアでは、ミュンヘン市内、オーストリアのケルンテン州内などのマイバウムが紹介されている。 https://de.wikipedia.org/wiki/Maibaum ミュンヘン市との姉妹提携により、札幌市の大通公園の一角にも建てられたそうだ。
    2 ドイツマルク(Deutsche Mark=DM):ドイツ帝国以来の公式通貨ライヒスマルク(Reichsmark:RM)に代わって1948年6月20日、旧西ドイツの通貨として導入され、東西統一を経て、1999年1月1日の共通通貨ユーロ導入の前日まで使われた。当時は1?=約70円だった。

    (森林文化教会『グリーン・パワー』1999年5月号 「ドイツの森から」)
    【追記】2005年11月26日、南山大学外国語学部ドイツ学科において実施された「2006年度南山大学推薦入学審査・学園内高等学校推薦入学審査」の小論文問題(60分)に、この「5月の木」の全文が出題された。設問は、(1)まとめと感想を400字程で書きなさい。(2)この文章で触発されたあなたの考えを400字程で述べなさい(「5月の木」の内容と何らかの関わりを持たせること)――という2問だった。入試問題なので、実施後、大学より書面で通知があった。
    なお、文中の脚注は、今回の再掲に際して、挿入した。



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