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    アーカイブ 月刊民放 エッセイ 2016/03/01 桜井 元
    【特集】放送人の”基礎体力”向上講座「よく見る よく聞く よく考える 」(月刊民放 2016年3月号)
    秋田朝日放送(AAB) 代表取締役社長  桜井 元
     学生時代の終わりごろだったから、もう35年前になる。知人の紹介でドイツのジャーナリストのご夫妻を奈良へご案内した。大阪へ戻って食事をしながら、私が近く新聞記者生活をスタートすると知っていたご主人は、カウンター上の紙ナプキンをつまみ出し、「シンプルだが、記者にとって大切なことを教えよう。『よく見る』『よく聞く』『よく考える』1 ――この3つだ」と、メモをしながら語りかけてくれた。
     失礼ながら、当時の手帳を探し出さなければドイツ人の先輩の名前も思い出せないが、彼の言葉はミナミ・宗右衛門町の店のたたずまいとともに、心に刻まれた。
    ●「現場」に足を運ぶ
     「よく見る」「よく聞く」は、現場とその周辺でなければ、できない動作だ。
     九州の駆け出し時代、交通死亡事故と炎上している火災現場には、必ず急行するように、と教えこまれた。
     事故現場では、ブレーキ痕の有無、残っていればその長さを手帳に書きとめた。しばらくすると、顔見知りになった交通課の担当官が、現場でチラチラと図面を見せてくれるようになった。たまった現場の見取り図を分類して、先輩たちが夏休みをとる時期に「交通事故の現場から」という図解入りの連載記事を書いた。
     1人で1市8町1村を担当した駐在記者のころには、10数店の新聞販売店の所長に、それぞれフィルムを2本ずつ渡して「何かあったら写真を撮って、連絡を」2 と頼み込んだ。
     このごろは、だれでもスマートフォンで動画を撮影できるので、現場周辺では「どなたか撮影されていませんか」と声をかけることも必須かと想像する。そうした人たちの目撃談に耳を傾けることも、また大切だ。
    ●故・黒田清さんがほめた?
     ボン支局勤務のころ、民放テレビの情報番組で、ジャーナリストの故・黒田清さんが「けさの新聞記事で、一番面白かった」と言ってくださったことがあったそうだ。それは、カエルの産卵期の1ヵ月余り、ボン郊外の道路が一部通行止めになり、路線バスも運休する――という記事だった。
     きっかけは、日本大使館にバス通勤する方から、「いつも15分で行けるのに、1時間半かかるようになって困っている」と電話があったことだ。「カエルのために通行止めというから、どんなに大群が出るのかと、雨の夜に妻と確かめてみたが、4匹しかいなかった」と言う。
     バス会社に電話で確かめたうえで、現場へ行くと、住宅地を通る片側2車線の道の両側に池があり、約200㍍にわたって通行止めになっていた。カエルの横断注意ということだろうか、カエルの絵入りの標識が出ていた。通行止め区間内のマイカーには、特別許可証が出るらしい。
     たまたま散歩していた近所のご夫妻は「保護種だから、仕方がないわねぇ」と笑顔だった。
     取材の過程で、アウトバーンなどドイツの主要道路では、車道の路面の下に小動物がわたれるトンネルが掘られている3 ことや、こうしたトンネルを題材にした童話や絵本があり、日本人の若い作家も作品を発表していることを知った。
     また、テレビカメラで一連の取材をしてみたかった、とも思った。
    ●震災で倒壊したカメラ
     仙台の東日本放送(KHB)に在籍中の2011年3月11日、東日本大震災が起こった。
     現場へ出たいが、報道制作は担当外だし、逆に取材中の同僚たちに迷惑をかけるおそれもあった。そんな時、「女川のカメラを見に行こう」と社長から声がかかった。
     東北電力女川原発に向けられていた各社の情報カメラ4 が、津波でそろって倒壊していた。その事実は、NHKのヘリコプター映像で確認されていたが5 、道路が寸断されて、地上からは行けないと言われていた。
     「応急措置で通れるようになったらしい」。道路の亀裂を避けながら、たどりついた漁港の惨状に言葉を失った。カメラの鉄塔と岸壁の間に、黒い軽乗用車がはさまったままだった6 。そこで撮った写真は、社内の震災被害報告書に採用された。
     漁港周辺の住民は、女川原発へ避難し、東北電力の要請で、食糧や衣類が空輸されていた。電話を受けて、仙台のデパートの社長が自ら、停電中の店内で、女性用下着を段ボール箱に詰め込んだことも知った7
    ●「寄り添う」だけでよいのか
     震災後、被災者に「寄り添う」という表現が目立つようになった。立場の弱い人たちに寄り添う気持ちを持つことは、決して悪いことではない。ただ、報道機関として寄り添うだけでよいのか、と個人的には違和感を持つ。
     寄り添っていると、相手の体温や震えは分かるし、相手の声もよく聞こえるだろうが、相手の表情を「よく見る」ことは難しい。むしろ、正面から謙虚に向き合って、相手の表情を見つめ、心身の健康状態や相手をとりまく状況、特に復興の方向や進捗の速度について「よく考える」ことが大切ではないかと思っている。
    ●「信頼」をつなぐ
     民間放送の事業は、インターネット動画配信の拡大や、4K・8Kとさらに高精細の映像を目指す流れの中で、試練の時を迎えている。今この業界に飛び込もうとしている若者たちは、将来に不安を感じているかも知れない。
     しかし、思い出してほしい。地上波テレビのデジタル化の前にも、ローカル局は設備投資の負担に耐えられず「単なる支局になる」「炭焼き小屋論」などと喧伝されたことを。
     結果的に、地上波テレビ局は、1局の経営破綻もなく、デジタル化を乗り切った。総務省の放送行政面での支援もあったが、経営基盤の強くないローカル局を含めて、それぞれの局がデジタル化を「第2の開局」と前向きにとらえて、社員一丸となって取り組んだことが大きかった。
     その苦労が報われて、地上波テレビは確かな「信頼のブランド」を得た。視聴者の信頼であり、民間放送ではスポンサーの信頼でもある。ブランド力はまた、圧倒的な「リーチ力」でもあり、「コンテンツ力」でもあるといえるだろう。
     だからといって、立ち止まって余裕を見せている場面ではないことは、新放送人のみなさんもよく理解しているだろう。
     たとえば、インターネット動画配信の大手事業者と正面からぶつかろうとしても、ローカル局は吹き飛ばされるだけ。「おたくのあの番組をネット配信したい」と提案されるような魅力ある番組をつくっていれば、ビジネスパートナーになれるのではないか。こうした発想で、独自のコンテンツに磨きをかけたい。
     速い時代の移り変わりの中で、変化に翻弄されるのではなく、その行方を見極めつつ、視聴者や取引先の「信頼」は堅持しなければならない。
     ただ、営々と築き上げた信頼も、崩れる時は一瞬だ。放送局に働く者は、視聴者の厳しい視線が向けられていることを忘れてはならない。たった1人のルール違反で、会社の信頼が瓦解しかねないというリスクを、良い意味での緊張感に切り替えて、日常の仕事に取り組みたい。
    ●地域の応援団になろう
     住んで3年目となる秋田県8 は、38の蔵元9 が醸し出す《美酒》、稲庭うどん、きりたんぽ、増田のリンゴ、横手のスイカ、サクランボの「佐藤錦」、鹿角の「北限のモモ」、男鹿沖の「北限のフグ」といった《美食》《美味》、藤田嗣治の大壁画『秋田の行事』(秋田県立美術館)、「秋田蘭画」、秋田公立美術大学などの《美術》、秋田スギ、白神のブナの《美林》、そして「秋田美人」(美肌の湯、人口比で日本一多い美容院)と「美」に彩られている。
     でも、かつて広く宣伝しようという熱意が足りなかったせいか、内輪で「美」を享受していたせいか、リンゴといえば青森や長野であり、サクランボは山形、となかなか秋田と結びつけてもらえない。
     地域の放送局として、地域の魅力を再発見して、広く発信できないか。できれば、字幕をつけて、海外へ番組展開したい。そうすれば、「地方創生」と大きく構えなくても、秋田の魅力にひかれて、秋田へ旅する人が増えるのではないか――。
     地元の農産品の質の高さを、県外・国外へ発信できれば、環太平洋経済連携協定(TPP)を前に、不安を抱く地元の農業者のみなさんへのささやかな応援になるのではないか――と考えてきた。
     昨年11月、秋田県大館市出身のアナウンサー藤盛由果が初めてディレクターをつとめた番組『クール@あきた~匠の技と先端デザインの融合』を放送した10
     秋田スギを使った大曲の曲げわっぱと、サクラ材を材料とした角館(仙北市)の樺細工の2つの伝統工芸品をとり上げ、融合させたデザインのトレイがフランスのディオールに採用されたことを紹介.した。母の郷里・大館で生まれた真飛まとぶせいさん(元宝塚歌劇団花組)にナレーターを依頼したところ、全国の宝塚ファンから「こちらでは放送しないのですか」と問い合わせをいただいた。
     昨年5月には、秋田市出身のアナウンサー千田ちだまゆこが雪の中、上小阿仁村に通って仕上げた『たった一人の新聞社~活版印刷で半世紀』をテレビ朝日系列の「テレメンタリー」として放送した11 。80歳の男性が1人で発行している週刊の『上小阿仁新聞』を取材した番組だったが、ナレーターに乃木坂46の生駒里奈さん(由利本荘市出身)を起用したところ、思わぬ反応があった。
     SNS上で「生駒ちゃんがドキュメンタリーのナレーションをしている」とファンの間に波紋が広がり、途中から「印刷の原点だな」などと番組内容に触れるコメントが現れた。
     フェイスブックやツイッター(現・X)を使って番組の宣伝をする際のヒントになったように思う。
    ●若い感性に期待
     若い人たちが自宅で新聞をとらなくなって久しいが、いよいよ若者たちのテレビ離れも加速しつつあるという。
     そんな時代に、あえて放送という仕事に飛び込んでくる若者たちには、困難を乗り越える開拓者精神があるのではないか、と期待したい。ある先輩社長の言葉を借りると「放送人には『やんちゃな心』が必要」とも言われる。
     「よく見る」「よく聞く」「よく考える」――そのうえで、若々しい自由な感性を発揮して、新鮮な映像表現を切りひらいてほしい。
    (日本民間放送連盟発行の『月刊民放』2016年3月号に掲載。新たに本文を一部修正し、脚注を付記した)
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    1 gut zu sehen, gut zu hören, gut zu denken
    2 みなさん積極的に写真を撮ってくれた。事故でひっくり返ったトラック(けが人なし)、「地域の運動会で車いすの子どもが頑張った」「月下美人が咲いた」「キウイの実がなって、試食した」。支局長には「地方版を独占するな」とも言われたが、日曜返上で7本出稿(うち5本は提供写真つき)したのは、心の記録だ。「おかげで1部増えた」と連絡してくれる店主もいた。横転トラックの写真を「月間ニュース写真」として表彰された店主は、全日本写真連盟の会員になった。
    3 大型のシカは、角が引っかかるので、車道地下のトンネルを通りたがらない。また、シカはヘッドライトに驚いた時、一瞬、立ちすくむ習性がある。そのため、アウトバーンでは、車とシカの衝突事故が絶えない。新車開発に際して、急ハンドルを切る時のバランスを点検するスラローム試験走行を“Elchtest”(オオジカテスト)といい、1997年のメルセデスベンツの小型車(Aクラス)開発時も、これに適合するかどうかが焦点となった。
    4 宮城県牡鹿郡女川町小屋取の漁港の岸壁。KHBのカメラは、仙台放送(OX)と共同で、2台が1本の鉄塔に備えられていた。倒れた方向からみて、津波の「引き波」によるものと判断された。
    5 NHK仙台放送局は、ヘリの映像からスチールで切り出し、民放各社へ写真を提供してくれた。KHBのヘリは、空港で飛び立つ前に搭乗員が避難、機体は津波に流され、壊れた。
    6 カメラを持って車を出る時、社長が「ご遺体があったら、動かすんじゃないぞ」。その言葉は忘れない。
    7 報道制作担当ではなかったが、東北電力と仙台三越に「女川原発に避難した人たちや、支援物資空輸を取材させて欲しい」と頼んでみた。しかし、両社とも「ウチだけうまくやっている、と見られるのは、いかがなものか」と断ってきた。東北電力は、東京電力の右往左往を見て、刺激したくないと判断。仙台三越の社長は、たまたま婦人服売り場の経験があったため、暗がり(懐中電灯1つ)でも下着の段ボール箱の在りかが分かっていた。「私ひとりヒーロー扱いは困る。みんな頑張っている」と答えた。
    8 秋田には8年住みました。フジテレビの『踊る大捜査線』スピンオフ映画『室井慎次』2作のギバちゃん(柳葉敏郎さん)や秋田の景色を観て、泣けます(個人の感想です)。
    9 秋田県酒造協同組合の会員は、33社(2024年11月)。
    10 2015年11月28日放送
    11 2015年5月9日、「テレメンタリー」(テレビ朝日系列)
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