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アーカイブ 秋田日独協会 『創立50周年記念誌』 2021/12/01 桜井 元
未完の森の物語(2021年12月 秋田日独協会『創立50周年記念誌』に掲載)
昔の思い出話で恐縮だが、ドイツの首都機能がボンからベルリンに移った1999年、森林文化協会の月刊誌『グリーン・パワー』に「ドイツの森から」と題して1年間、森にちなむ話題を書き続けた。
「黒い森」の酸性雨被害を調べたり、森林官の資格を持つ連邦議会議員にインタビューしたり、デュッセルドルフ在住の日本人の森の勉強会に参加したり、楽しく取材を続けたが、何よりボン郊外の自宅から10分も歩けば、北側のケルン方面へ広がる森の入り口があるという「地の利」があった。
雪の積もった日曜の朝、ドイツ人もこんな日には森の散歩を諦めるだろうと思いつつカメラを手に出かけたら、予想に反して、幼い子どもをそりに乗せたり、犬を自由に走らせたりしながら、続々と森の奥へと歩いて行く家族連れがいた。
「マイ・バウム」(5月の木)といい、男性が好意を寄せる女性の自宅玄関前に、飾り立てたシラカバなどの枝を黙って置いていく風習について、「学生時代、迷惑を受けたわ」と苦笑する女性記者の話を聴いた。調べてみると、地方によって木の使い方などがずいぶん違うことが分かり、5月号に「5月の木」を書いた。すると、2005年11月、ある私立大学の推薦入学試験(小論文)で全文が使われた。しかも、①「まとめと感想を400字ほどで書きなさい」②「この文章で触発されたあなたの考えを400字ほどで述べなさい」という出題。ぜひ模範解答を知りたいと思ったが、その連絡はなかった。
当時の『グリーン・パワー』編集長の井原俊一さんとは、1997年度の森林文化賞の現地審査で、三重県内の里山を一緒に訪ねたことがある。そこは、ドイツ人の神父が指導し、心身に障がいを持つ子どもたちが伸び伸びと活動できるようにと施設や運営方法が工夫され、手入れの行き届いた雑木林だった。同年5月の最終選考会で、この森について報告し、贈賞が決まった時、審査委員長だった筒井迪夫・東大名誉教授から「ドイツの森に関心があるのかね」と問われた。「秋にボン支局へ赴任しますので」と答えると、ドイツの森に関する先生の著書を2冊送っていただいた。
井原さんには、著書『日本の美林』(岩波新書)がある。その中で、「白神のブナ」と「秋田杉」と、県内の複数の美林が紹介されているのは、秋田県だけだ。社長業を卒業したら、ドイツの続編として「秋田の森から」を書きたい、と構想を温めていた。
コロナウイルス感染症の拡大やクマの出没、そこに健康上の問題が重なって、その夢を実現させないまま早めに秋田を離れてしまった。残念でならない。
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