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アーカイブ 国際観光施設協会 コラム 2026/01/10 佐野 桃子
佐野桃子の観光インタビュー 創業500年老舗旅館花屋徳兵衛17代目代表取締役 花谷芳春氏
花谷 芳春 氏 略歴 1952年 洞川(奈良県吉野郡天川村)に生まれる 1995年 滋賀県にてスキー学校創設 2000年『花屋徳兵衛』の経営に参画 2010年 花屋徳兵衛株式会社の代表取締役に就任、現在に至る
佐野: 本日は大変お忙しい中、インタビューをお引き受けいただき誠にありがとうございます。
花谷氏: 本当なら宿泊して頂きたかったのですが、残念なこと に、紅葉祭りがあって満室でした。是非、日を改めてゆっくり 泊まっていただき、温泉も堪能 してください。
佐野: ありがとうございます。ところで、事前に資料を拝読すると、洞川は温泉がメインの地域だと思っていました。
花谷氏: いえいえ。洞川はとても特殊なところで、大峯山の存在なくしてはあり得ませんでした。大峯山は、約1300年前から山岳密教の信仰拠点として、富士山信仰より先んじて、有名になった山です。 洞川は大峯山と高野山を結ぶ重要な地点でもあり、信者さんへ 食糧や必要物資の供給を行う基 地として発達しました。平安時 代から洞川地域はそのような役 割を果たしてきたのです。桃子 さんは山岳密教をご存じですか。
佐野: お恥ずかしながら、山伏が信仰していた宗教だという認識 があるくらいです。
花谷氏: もちろん山伏は信者として一つのあり方ですが、一般の人のなかにも、根強い山岳信仰がありました。役行者が西暦700年前後に山岳密教を広めました。仏教が広まる前からあった信仰です。かの弘法大師も大峯山に来ていて、そのとき高野山を見つけたと言われています。役行者はまさにシャーマンのスーパースターといったところでしょうか。
花谷氏: ですから大峯山には山伏だけでなく一般の人も登るよ うになって、まず大峯山、次に 高野山に行くという参拝ルート が、今から 500 年前に確立して 人気になりました。洞川の旅館 もその観光客の基地として賑わ いました。やがて『講』という 一般民衆の信徒集団が形成され ていき、彼らを洞川では「行者さん」と呼んでもてなしました。一時は行者さんが修行をする「戸開け期間」だけ開業する旅館も多くなりました。5月3日に大峯山の頂上にある大峯山寺の戸を開けて、9月23日未明に戸閉め式を行います。そんな中で 40年前、私の親の時代に温泉が採掘され、うちの旅館も温泉宿として再出発するようになりました。
佐野: 長い山岳密教と結びついた歴史に比べて、温泉は比較的新しい取り組みなのですね。
花谷氏: そうですね。しかし洞川は山岳密教の聖地としてあり続けています。実際、大峯山は今も女人禁制の山で、ここから約4キロ行ったところに「女人結界門」があり、行者や男性登山家だけがそこから山上へ向かいます。
花谷氏: その通りです。今の価値観からすると賛否があるかもしれません。しかし、洞川は昔からのしきたりを守っています。
佐野: 昔から続く洞川ならではのお話ですね。ほかにも洞川らしい特徴はありますか。
花谷氏: 洞川では林業を副業としている方も大勢いました。花屋旅館もそのひとつです。バブル全員で一緒に摂れるようにお膳を並べます。全部自前です。
佐野: 木材も価格の変動が激しいのですね。旅館業は変化の激しい業界ですし、林業も同様なのですね。今の花屋さんに来るお客様は、一般の方がほとんどですか。
花谷氏: 行者さんは1~2割くらいでしょうか。今でも、町単位で行者さんの講が作られ、お寺のお坊さんがリーダーになっていらっしゃることも多いです。80人1グループで宿泊される場合もあります。部屋をぶち抜いて80人分の布団を敷き詰め、寝られるようにします。食事も全員で一緒に摂れるようにお膳を並べます。全部自前です。
佐野: 一度にそんなにたくさんのお客様の食事となると、食器も大変ですね。
花谷氏: 200人分の食器はちゃんと持っていますから、ご安心ください(笑)。客を選ばないのが私どものモットーです。 行者さんではない一般のお客さんについては6部屋6組で受 け入れることを基本としています。部屋のしつらえもそうなっています。そのため週末はすぐに満室になってしまうんですよ。最近ではインターネットから申し込まれるお客さんも増えています。
花谷氏: うちのウェブサイトを見て、申し込まれてくるお客さんも増えてきました。なぜかロシアの若い方が多くいらっしゃいます。また、毎年オーストラリアのトレッキングツアー客が来てくれますね。15人の一行で14泊の日本ツアーの最後の2泊が花屋になっています。
佐野: 15人のツアーは楽しそうですね。ところで、洞川の陀羅尼助丸は、友人から頂いたことがあって、洞川が漢方でも有名なのだと知りました。
花谷氏: そもそも、山伏さんの携帯薬で、黄檗というキハダの皮の部分を煮たものです。とても苦いのですが、胃腸に薬効があります。昔は13件の陀羅尼助屋がそれぞれこの薬を作っていたので、山伏さんたちは泊まった旅館で調達していました。ところが、薬事法に適合しないと販売できないということになって、13 件が一緒になって会社を設立し、薬事法に適合する方法で製造販売を行うようになりました。今では観光客の方々もお土産として買っていきます。
佐野: 洞川では地ビールも製造ているのですね。東京のレストランで飲んだことがあります。とてもおいしかったです。
花谷氏: 何しろ水が良いので、地ビールもとてもおいしいと思います。
佐野: 現在の事業で、なにかお悩みの事はおありですか。
花谷氏: 一に二にも、人手不足です。旅館という特性上、労働時間が長いので継続して勤務してくれる人を確保するのが大変です。単なるアルバイトと気軽に考えて、長続きしない人が多いので困っています。私どもの向かいの旅館に、人材派遣会社の営業マンが来て、ネパールの人を採用していました。そこで、私どももベトナムの人を3人採用してみました。とてもよく働いてくれています。良い従業員を確保するのが、一番大切だと思っています。昔は 5 月 3 日から9月22日の戸開け期間だけ忙しく働き、それ以外の時期は休んでも食べていくことができました。しかし、今はオールシーズン開業して、一年中平均的に利益を得ていきたいと思っています。
佐野: 洞川でも外国人雇用が始まり、労働環境に変化が起こっているのですね。ところで、お忙しい毎日で気苦労もいろいろ多いと思います が、花谷さんはストレス発散を どのようになさっていますか。
花谷氏: 昔はスキーをやりました。インストラクターの資格を持っ ていて、スキー学校を経営していたくらいなのですが、今は止めてしまっています。現在はゴルフでしょうか。といっても今年はまだ4回しかしていませんが(笑)。
佐野: それだけお忙しいのですね。今日はお時間をとっていただき、本当にありがとうございました。
インタビュー後記 今回の旅行では、友人の早田太郎さんに大変お世話になり、奈良の森林の美しさを堪能しました。彼は現在、洞川財産区という特別地方自治体の職員をしています。洞川の山は、洞川財産区が土地の所有権を持っています。しかし、生えている杉や檜の所有権は山主さんが持ち、山の手入れを洞川に住む監守人と呼ばれる山守が行う「監守制度」という独自の形態を取っています。3者で山を守るという、とても興味深いお話でした。太郎さんは東京の出版社で編集をされていたのですが「、もっと人間らしい働き方」に憧れて転職を考え始め、奈良県フォレスターアカデミーの開校を知るや一念発起し、森林の世界に飛び込みました。アカデミーで森林管理に必要な多くのことを学び一期生として卒業。卒業と同時に、奈良県天川村の洞川財産区に就職されたそうです。森のことを話す太郎さんは、とても生き生きとしていらっしゃいました。なんと素晴らしい転職でしょうか。日本のこれからの森づくりや木材に興味のある方は、是非、奈良県フォレスターアカデミーのサイトにアクセスしてみてください。 佐野桃子
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