|
客員研究員・山川 鉄郎 アーカイブ フジサンケイ広報フォーラム エッセイ 2025/01/10
事実が自分の想像(多くは思い込み)とかけ離れていることがある。
ある日ベルギー大使のフランソワと彼女の出身地、フランドル地方の話をしていた。「日本でフランドルを知っている人は少ないでしょうね。」と彼女がいったので、私は答えた。「いや、そんなことはない。フランドルの名前自体は日本ではとてもよく知られている。ここを舞台にした、日本人ならみんな知っている『フランダースの犬』という小説があるんだ。」「聞いたことないわ。どんな話なの」「絵が好きな才能ある少年と愛犬のお話だ。少年は大聖堂の有名な祭壇画を一目見たいと思っているが、拝観にはお金が必要。貧乏な彼は見ることができない。彼はいろいろつらい目にあい、犬だけが彼の友達。やがて彼の才能が認められる日が来るが、彼は愛犬とともに大聖堂の前で凍死してしまう。でも、死ぬ寸前、月明かりで一瞬、彼はその祭壇画を見ることができた、そんな話。」
フランソワは怒った。「なに、その話。なんの救いも希望もないじゃない。ベルギーでは絶対に支持されない。」「そうかな。みんなこの話が好きで大聖堂の絵を見に行くと思うのだが。」「賭けてもいい。日本人以外はこの話は知らない。」
それからしばらくして、問題のルーベンスの祭壇画「キリストの昇架」を見るため、アントワープの聖マリア大聖堂を訪れた。絵は確かに美しく、大聖堂の前には記念碑もあった。しかし刻まれた文字は「フランダースの犬」「日本商工会議所」「トヨタ自動車」と日本語ばかり。日本人以外関係がない記念碑だった。どうやら彼女が正しかったようだ。
そういえば会議で中国の天津を訪れたことがある。現地の人に「天津といえば天津甘栗ですね」といったら、彼は「何だ、それ」。驚いて「えー日本では天津といえば天津甘栗と天津飯なのですが。」というと、「そんなものはどちらも天津にはない!見たことも聞いたこともない!」と言われた。事実が自分の想像と違うことはよくあることなのだ。
| |
|